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楽屋の弁証法、あるいはスターリンからマリリン・モンローへの社会主義の発展

マクシム・ゴーリキーの『どん底』

Seibun Satow 

 

「ぼくは新しい人間じゃあない!

何をかくそう。

過去に片足残しているんだ、

鋼鉄の軍勢に追いつこうとして、

もう一方の足がすべっておっこちる」。

セルゲイ・エセーニン『去りゆくロシア』

 

第一幕

 今日の文学シーンにおいて、社会主義リアリズムを話題にすると、あまりに殺風景ではないかと思われることだろう。と言うのも、社会主義リアリズムは文学におけるスターリン主義と見なされ、スターリン批判後、社会主義リアリズムへのソ連国外での関心は消滅し、ソ連崩壊後に至って、すでに言及されなくなっていたが、旧ソ連地域内でも、ほぼ失われているからである。ただ、社会主義リアリズムは現代ロシアのポストモダンの芸術家たちによって、むしろ、パロディの素材として頻繁に再利用されている。また、最近では、ナチスの公認芸術との類似に着目し、全体主義が生み出した二〇世紀的美学として文化史的に把握しようとする気運も強い。さらに、社会主義リアリズムがロシア・アバンギャルドを圧殺し、それに代わって登場してきたとする従来の見方に疑問を投げかけ、ボリス・グロイスはロシア・アバンギャルド運動の論理的な帰結が社会主義リアリズムだったのではないかと主張している。一九三四年、ソヴィエト連邦作家同盟は、その規約において、「社会主義リアリズム」を「ソヴィエト芸術文学および文学批評の基本的方法」と規定している。「社会主義リアリズム」とは、同規約によると、「現実を、その革命的発展において、真に、歴史的具体性をもって描く」方法であり、その際、「現実の芸術的描写の真実さと歴史的具体性は、プロレタリアートを、社会主義の精神において、思想的に改造し、教育する問題と結びつかなければならない」。これは、二年前の四月、文学団体再編成についての共産党中央委員会決議後、作家同盟準備委員会でのマクシム・ゴーリキー、アナトーリー・ヴァシーリェヴィチ・ルナチャルスキー、ヴァレーリー・ヤーコヴレヴィチ・キルポーチン、ファジェーエフらの討論を経て、まとめられたものである。討論の過程の中で、社会主義リアリズムは「社会主義が現実化した時代のリアリズム」であり、「十九世紀ロシア文学の方法とされた批判的リアリズムが、現実の欠陥、矛盾を暴きながら、その批判を未来への明るい展望と結びつけられなかったのとは異なって、革命的に発展する現実そのものの中に未来社会への歴史的必然性を見出す新しい質のリアリズムである」から、「革命的ロマンティシズムをも内包する」と強調されている。提唱したときは、一九二〇年代のラップの政治主義的イデオロギー批評を抑止し、作家を出身階級で規定する卑俗社会学派の文学観を克服すると同時に、プロレタリア作家と同伴者作家の差別を「ソヴィエト作家」に止揚すると期待されている。実際、社会主義リアリズムにより、作家の出自を問われることはなくなり、一九三〇年代初期の非プロレタリア文学系作家の作品が評価されている。

 

 アヴァンギャルドの絵を見ながらルナチャルスキーがトロツキーに尋ねた。

「あなた、この絵がわかりますか?」

トロツキーは答えた。

「わからないねえ!」

今度はトロツキーがルナチャルスキーに尋ねた。

「あなたはわかるのかね?」

「わかりませんねえ!」

そして二人はアヴァンギャルドを理解することのできない最後の政治家となった。

 

 以降の政治家たちは、もはや、アヴァンギャルドを論じることすらできないというわけだ。社会主義リアリズムは、時代によって、理論的には変遷しているが、スターリン体制下、当局が「形式主義」と「コスモポリタニズム」と判断した作品はそうではないと見なされている。

 

アンチセミチズムとの評判を立てぬためには、

ユダヤ人をコスモポリートと呼ぶがいい。

 

 社会主義リアリズムは、確かに、スターリン主義であるが、演劇作品を通じてその問題を論じる場合、ゴーリキーの『どん底』をおいてほかにないだろう。マクシム・ゴーリキー(Максим ГорЬкий)は最近でこそほとんど読まれなくなってしまったけれども、左翼運動が退潮するころまでは、非常に影響力のあった作家である。ゴーリキー(一八六八─一九三六)、本名アレクセイ・マクシモヴィチ・ペシュコフは、さまざまな職業を経ながら、各地を放浪した後、執筆活動に入る。その間、社会主義的知識人と知り合って強い影響を受ける一方、自殺未遂事件を起こしている。「マクシム・ゴーリキー」という筆名は四歳のときに亡くした父親の名前による。本名の「アレクセイ」にはモンゴルに支配されて弱体化したロシア再興を果たしたアレクサンドル・ネフスキーからロシア愛国主義的な意味があり、「マクシム」は神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世に由来するドイツ的な名前である。ちなみに、スターリンの本名「ヨシフ」はイエスの母マリアの夫でナザレの大工、聖ヨセフに由来しているのに対して、レーニンの場合、「ウラジーミル」はスラブ起源であり、ボリスとならんで、特に、ロシア的な名前である。

 にもかかわらず、村上龍は、『EV Cafe』の中で、次のようなことを言っている。

 

 ボリス・ベッカーを見ていたら、ヒトラーの演説を思い出して、ヒトラーが正しいんじゃないかという感じがしたね、一瞬()。ボリス・ベッカー自身も、ヒトラー・ユーゲントみたいな顔をしてる。金髪で、いかにもドイツ・ゲルマンという感じで、あいつが勝つと、ヒトラーが叫ぶ「ドイツ国民は……」という演説が目に浮かんでくるんだよ。

 

 ルックスはともかく、ボリスは、先に述べた通りであるが、「ベッカー(Becker)」は「パン屋」という意味があって、ユダヤ系にも多い姓である。「ボリス・ベッカー」という名前に非ゲルマン的な響きがある。むしろ、ヒトラーの主張と容貌の落差を加味しつつ、それとルックスとのギャップを考えてみるのも一興であろう。

 短編集『記録と小説』三巻(一八九八─九九)や小説『フォマー・ゴルディーエフ』(一八九九)、散文詩『海燕の歌』、戯曲『小市民』(一九〇一)などによって注目されていたが、彼の名を国内外で知られるようになったのは、ツァーリによって取り消されるものの、アカデミーの名誉会員に選ばれた一九〇二年に発表した戯曲『どん底(На дне)』である。『どん底』はモスクワ芸術座で初演されるやいなや、世界各地でも上演される。『どん底』は日本のプロレタリア文学にも強い影響を与え、よく舞台化され、一九五七年に黒澤明が映画化している。そこに登場する藤田山の「それでいいのだ」というセリフにインスピレーションを受けて、赤塚不二夫は『天才バカボン』のパパの決めゼリフ「これでいいのだ」を考案する。『どん底』の成功以降、ゴーリキーは、持病の肺結核のため、イタリアで療養し、ときどきロシアに戻るという生活を続けることになる。その後、小説『母』(一九〇七)、小説『告白』(一九〇八)、連作短編『イタリア物語』(一九一一─一三)、自伝三部作『幼年時代』(一九一四)・『世の中へ出て』(一九一六)・『私の大学』(一九二三)、未完に終わった小説『グリム・サムギンの生涯』(一九二六三六)などを執筆している。長男マクシムを亡くした翌年の一九三六年、モスクワ郊外ゴールキ村で、肺炎によって作家は永眠する。ゴーリキーは、『どん底』において、テーマの不在、台詞の遠近法の解体、情景の断片性、従来の意味での筋や主人公の不在、場面の急激な展開、群衆を強調する音響性、暗い舞台上で次々にスポットライトで照らし出すような人間の描き方、瞬間的な描写、人間の内面の掘り下げの拒否、文語・口語・俗語・方言・外国語・造語の混在、さらには知識人と民衆の言語の弁証法的止揚による語りを創造している。もっとも、この特徴は社会主義リアリズムの定義から完全に外れていることは確かである。第一、当局は長編作品を社会主義リアリズムとして求めている。短編の『どん底』はこうした規定にすべて反しているにもかかわらず、社会主義リアリズムの規範的作品である。条件にあっているから、社会主義リアリズムと判断されるのではない。マクシム・ゴーリキーの作品だから、社会主義リアリズムなのだ。社会主義リアリズム判定の文学的根拠は無であり、それは政治的判断である。これは否定されるべきことではない。舞台裏があるということを意味しているからだ。カール・マルクスが『資本論』の中で「いったい、裏のないメダルなどというものが、どこにあろう!」と書いている通り、政治は舞台ではなく、その裏である。ほかの独裁体制が正統的な文学を規定して、弾圧するような回りくどいことはしないのを考慮するなら、社会主義リアリズムはスターリン主義と極めて密接な関係にあると言わざるを得ない。社会主義リアリズムはスターリン主義の独自性を体現している。

 スターリン主義は、一般的に、次のように理解されている。官僚主義体制、権威主義的独裁、粛清によって語られるスターリン体制は、レーニンの死後、権力闘争に勝利し、大量テロルによって個人独裁を完成してつくりあげた国家体制である。スターリンは労働者階級や農民、兵士の支持、広大な国土、豊富な資源といった国内要因があれば、遅れたロシアでも社会主義の建設が可能だと考え、一国社会主義を提唱する。右派のプハーリンや左派のトロツキーとの権力闘争の末、ロシアはいかなる犠牲を払っても短期間に工業化しなければならないという姿勢をとっている。「ロシアは百年遅れ、貧しく、痛めつけられた。十年で追いつかなければならぬ」(スターリン)。産業人口に占める農民の比率の高さ、労働者階級の貧弱さ、市民社会の未発達、民主的な政治制度の欠如といった現状で、急速な工業化を達成するには、党と国家を一体化し、中央集権的・官僚主義的な強力な行政組織に支えられた管理体制が要請されなければならない。しかし、こうした独裁体制は産業化が遅れた国や地域でよくとられる近代化独裁であり、開発独裁である。スターリン体制の独自性を考えなければならない。

 

質問「現実の社会主義は何を示しているのでしょうか?」

回答「現実の社会主義は、自分の中にすべての先行する社会的・経済的携帯を具現しています──原始共同体からは生産方式、奴隷所有社会からは自由の原則、封建社会からは階級的特権、資本主義からは解決できぬ矛盾」。

 

 党機構と行政機構の間は完全に一致していたわけではなく、スターリンは両者の調整役である。政治判断は恣意的であるとともに、迅速さも保証する。スターリンは、確かに、外交・治安・軍事の面では、立案はともかく、最終決定者だったが、ほかの分野ではそれほど権限があったわけではない。粛清は、富田武が『スターリニズムの統治構造』で指摘している通り、党に対して行政機構が優位になったときに起きている。監禁や処刑を、党のレベルで行えば、犯罪だが、行政機構が遂行すれば、法的措置として正当化される。粛清は、スターリン体制に限らず、ヒトラーがレーム派に対して行ったように、党から行政機構へと権力基盤の重点を移すときに、決行される。「スターリンは、自由世界を脅して自己の支配下に置くことは不可能だと、悟った。一九五二年の夏、国内の情態は悪化し、スターリンは、またもや危機にさらされた。モロトフ、カガノヴィチ、ミコヤン、それに最良の友であったペリヤまでが、彼に新しい粛清を行うように要請した。スターリンは躊躇した。彼は、自分が粛清に同意すれば、またもや昔の政策が繰り返されると知っていたからである。スターリンは、それを繰り返したくはなかった。しかし、事態は急激に悪化していった。彼は否応なく、今まで避けてきた手段を講ずることに同意することとなった」(J・バーナード・ハットン『スターリン』)。

 

キーロフが殺された。

スターリンは党中央委員を集めて伝えた。

「昨日、われわれが熱烈に愛していた同志キーロフが殺された……」。

カリーニンがかれの言葉をよく聞きわけられず、尋ねた。

「だれをですって、だれを殺したのです?」

スターリンはこんどは大声でいった。

「昨日、われわれが熱烈に愛していた同志キーロフが殺された……」。

カリーニンはふたたびいった。

「だれを、だれを?」

スターリンはいらだった。

「〈だれを、だれを〉って。殺す必要のあった人間を、だ!」

 

 「同志スターリン」は党官僚と行政官僚の集団的匿名である。スターリン体制は、その維持のために、個々人を粛清している。しかし、個人によって体制は転覆しない以上、個人を「人民の敵」という集団に所属することにする。その意味で、スターリンに対する個人批判もスターリンの粛清と同じ構造を持っている。党や行政が施行している政策は、スターリンの口を通じて、民衆に語られなければならない。と言うのも、同志スターリンによって政策は正統性を与えられるからである。同志スターリンは象徴的な存在である。だが、スターリンは、自らの正統性がないことを知っているから、レーニンの威光を使わなければならない。ソヴィエト体制において正統的存在はただ同志レーニンだけなのだ。

 ゴーリキーは、『追憶』の中で、レーニンには労働者を引きつける磁力のようなものがあったと書いている。特に、彼の笑いには大変な魅力がある。一九〇五年、レーニンとゴーリキーは、イタリアのカプリ島を訪れる。船で海に釣りをしに出ようとすると、漁師がレーニンにコツを教えている。魚がかかったら、「ドリン・ドリン」とあたりがくる。一匹目を吊り上げ、レーニンはすっかりはしゃいで、大声で「わっはっは!ドリン・ドリン!」と笑い出している。漁師たちも笑い始め、レーニンは人気者になっている。レーニンがジュネーブに帰った後、ゴーリキーは漁師たちに、何度も、「ドリン・ドリンはどうしているかね? 捕まっちゃいないかね?」と尋ねられている。「ドリン・ドリン(drin drin)」は、イタリア語で、ベルの音を表わす擬音である。スターリンにはレーニンをこう語ることはできない。

 しかも、スターリンはロシア人ではない。スターリンは、『マルクス主義と民族・植民地問題』において、民族は種族ではなく、言語と地域、経済、文化の歴史的共同体と定義し、民族間の隷属関係と各民族内部の階級関係との結びつきを分析することによって、帝国主義の段階における民族問題を説いている。グルジア人ヴィサリオン・ジュガシヴィリとオセット人エカチェリーナの間に生まれたヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリにとって、その意味で、レーニンの父もロシア人ではなかったけれども、ロシア語は外国語であり、ロシア人は抑圧者である。反中央集権的な形をしている葡萄の原産地とされているグルジアに育ったソソは学校に行くまで、グルジア語だけを話し、ロシア語を知りもしない。グルジアにも、ほかのカフカズの地域と同様、北方遊牧民、ギリシア人、ローマ人、トルコ人、ペルシア人、ロシア人による侵略と影響の歴史がある。オリエント的神政王権だったグルジアは、四世紀ごろに、キリスト教化する。グルジアの文学的伝承が始まるのはキリスト教伝来以降のことである。英語で、グルジアを”Georgia”と呼ぶのは、グルジアが、アルメニアとならんで、カッパドキア出身の聖ゲオルギウス崇拝の起源だからだ。七世紀ごろからムスリムによって侵入されたものの、イスラーム化はさほどしていない。その後、十六世紀から十九世紀初頭のロシア併合まで、シーア派のイランとスンナ派のトルコによって東西に分割されて占領されている。東グルジアはイランの文化的影響を強く受け、イランで軍人として活躍するものも少なくなかったが、人々の改宗は進まない。一方、西グルジアでは、イスラーム化が進行し、ソ連成立後も、黒海沿いのアジャリア地方で、ムスリム住民がアジャール自治共和国をつくっている。

 前置詞を用いるロシア語とは逆に、フランシスコ・ザビエルの母語であるバスク語同様、後置詞を使うように、グルジア語はロシア語と異なった言語体系を持っている。現地では「カルトヴェル語」と呼ばれるグルジア語は、スヴァン語やラズ語、ミングレル語とならんで、南カフカズ諸語に含まれる。カフカズ、あるいはコーカサスは東西の諸民族が入り乱れて抗争した地域であるため、四十種以上の言語が話されていると言われる。ヘロドトスやストラボンも人種と言語の驚異的な混合について書いているし、アラブ人はこの地域を「多くの言葉を語る山」と名づけている。従って、グルジア語を話すのがグルジア人、アルメニア語はアルメニア人、アゼリ語はアゼルバイジャン人と単純にわけることはできない。五個の母音音素と二八個の子音音素があり、表記する際は、三三個のグルジア文字を使う(http://www7.airnet.ne.jp/art/georgia/lang/alphabet.html)。グルジア語の名詞には主格、呼格、与格、生格、能格、造格、状況格の七つの格があるが、特徴的なのは能格の存在である。能格は他動詞の主語になる格で、ほかのカフカズ諸語やバスク語、イヌイット語、さらにはシュメール語などにもある。例えば、γmert-ma kmna sopeli. これは「神が世界をつくった」という意味の文であるが、「神(γmert-ma)」は造格語尾-ma で能格として主語、「世界(sopeli)」は主客語尾i-で目的語になっている。ただ文における語の順番はSOVが基本である。古グルジア語では、名詞の後に形容詞がきたけれども、近代語においては、その逆に置かれる。冠詞はなく、人称代名詞は一人称、二人称、三人称があり、それぞれ単数形と複数形にわけられるが、性の区別はない。これもバスク=カフカズ語の仮説が唱えられる所以であるけれども、バスク語と同様、動詞が主語だけでなく、目的語の人称・単複にも対応して変わるため、複雑な変化形がある。また、数詞が20から99までは20進法に基づいていたり、家族関係の呼び方が非常に厳密で複雑でありつつ、父を「ママ(mama)」、母を「デダ(deda)」という恐ろしくユニークな言語である。グルジアに関してよりよく知りたい人は「日本グルジア文化協会」というサイト(http://www7.airnet.ne.jp/art/georgia)を参照することをお勧めする。

 

  マルクス主義は社会の発展の普遍性を、おそらく、言語的思考の普遍性にも結びつけるだろう。このような普遍主義から出てくるのは、必然的に進んだ言語と、遅れた言語という認識を当然のこととして生むであろう。

  そうすると、おくれた民族、エンゲルスのことばを使えば「歴史なき民族」は歴史の発展の過程でその存在をやめ、「歴史を担う」大民族の中に合流し、融合するはずである。じじつ、世界史は、その黎明期から今日まで、たえまなく、この過程をおしすすめてきた。したがって、そのような「くずとなった民族」とともに、その言語を消し去ることによって、文明語を発展の武器として使うことができるようになる。

 こうした認識からすれば、民族語の保護はあくまで過渡的な措置であり、いずれは消滅しなければならない。しかしスターリンは、この点においては西欧マルクス主義者とは全く異なっていた。この一九一三年論文の次の個所は特に注目すべきであろう。

 

  自由な移転の制限、選挙権の取上げ、言語の圧迫、学校の縮小、その他の圧迫手段は、ブルジョアジー以上でないとしても、それにおとらず労働者をいからせる。このような状態は、従属民族のプロレタリアートの精神能力が自由に発展するのをさまたげうるだけである。集会や演説会で母語をつかうことがゆるされず、学校が彼らに対してとざされているとすれば、タタール人だってユダヤ人だって、労働者の精神的才能の完全な発展などということをまじめに論ずることはできない。

 

 前半の、「いからせる」までは、政策にかかわるだけで、言語の本質にふれるものではない。しかし後半部においては、母語の使用がなければ「精神的能力」や「精神的才能」の発展が期待できないとしているところは、極めて本質的で核心にふれている。いったい、スターリン以前のマルクス主義者で、このような経験と洞察に満ちた言語観を示した者がいるだろうか。エンゲルスならば、きっと、かれらの、おくれた、ひん曲がった母語を、立派な文明語でとりかえなければ、民族の未来はないと言ったはずであり、げんにオットー・バウアーは、「イディシュで教える、ユダヤ人学校に学ぶ子供の頭の中にはどんな思想が宿るだろうか」と言ったのである。バウアーはイディシュのことを、「腐ったドイツ語」(verderbenes Deutsch)と呼んだ。ところが、スターリンは、ユダヤ人の母語の教育までも「精神的能力の自由な発展」のために必要だとさえ述べているのである。

 当時、バイリンガル教育の中でたとえ外国語の獲得が目ざす目的であるとしても、その十分な獲得は、母語の土台があって可能になるのだ、母語の教育をおこたってはならない――というような議論があった。これは今日の日本でも、子供に早期の英語教育をあせる教育ママたちをたしなめるための、いささか民族主義的トーンを帯びたことばとして利用されているが、スターリンは少数民族の権利の主張の中で、母語の権利を必須のものとして認めていたということができる。このことは、政策面から、もう一度次のように強調されている。

 

 少数民族は、民族結合体のないことに不満なのではなく、母語を使う権利がないことに不満なのである。彼らに母語を使わせよ、――そうすれば不満はひとりでになくなるであろう。

 少数民族は、人為的な結合体のないことに不満なのではなく、自分自身の学校をもたないことに不満なのである。彼らにその学校を与えよ、――そうすれば、不満はあらゆる根底をうしなうであろう。

 

  この母語とそれを教える学校を保証する、それが民族の解放につながるという考え方を、スターリンは一度もとりさげなかっただけでなく、一九二〇年代に入っては、それがソヴィエトの民族政策の顕著な特徴になったのである。

(田中克彦『「スターリン言語学」精読』)

 

 スターリンは、レーニンのような正統性を欠いているため、パーソナル・パワーを持っておらず、スターリン主義はコンセプチュアル・アートにならざるをえない。「スターリンは新しい崇拝の細目を作成した。国中にレーニンをまつる王座をつくる。かつてロシアの農家の王座にはイコンがまつられていた。これからは神レーニンの肖像をまつらなければならない」(エドワード・ラジンスキー『赤いツァーリ』上巻)。この倒錯性がスターリン主義の特徴である。ナチズムにしても、ファシズムにしても、マオイズムにしても、こんな倒錯性はない。ナチスの党首として総選挙を通じて政権の座についたヒトラー、ファシスト党の創立者としてローマ進軍を指揮して政権を獲得したムッソリーニ、共産党最高指導者として日本軍との戦争および国民党との内戦の勝利の後国家首席に就任した毛沢東とスターリンは違う。スターリンは党が政権を掌握する際の最高指導者ではなかった。レーニンの指導の下にボリシェヴィキが権力を奪取したのであって、スターリンは主役ではなかった。スターリンはクーデターを起こしたわけではなく、レーニンの急死によって空白となった地位を、党内のほかの有力者を追い落として、最高指導者の座についている。スターリンはそれまで何度も失脚する危険性はあったが、いつも主流派・多数派のほうに身を置いて正統性を確保し、それを回避している。文学なら、「異端の文学」といった呼称も認められるけれども、政治において正統性は重要である。正統性がなければ、国内外から国家権力として承認されない。一九一八年から諸外国による干渉戦争が続いていたものの、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、一九二二年、樹立を宣言する。当初、ロシア、ウクライナ、白ロシア、ザフカフカズ(後に、グルジア共和国に改名したが、ソ連崩壊後、独立国家共同体には参加していない)の四ソヴィエト共和国によって構成されている。ソ連を最初に公式承認したのは、一九二二年にドイツが承認していたものの、一九二四年、労働党政権のイギリスであり、イタリア、フランス、中国が続き、翌年には日本も認める。アメリカは一九三三年まで承認していない。ただ、異端は正統を知らない邪道と区別する必要がある。スターリンの統制は、正統性の問題である以上、家族などの小集団にまでは完全に及ばない。そう考えると、内務省によって戦時体制の一環としてつくられた「町会」、あるいは「町内会」が、現在まで、その体質のまま生き続けている日本の状況は異様である。“No one in the world is so unintelligent as a single Japanese, and no one so bright as two"(John GuntherInside Asia").スターリン体制は、ロシアの民衆が積極的であれ、消極的であれ、無関心的であれ、支持していたから維持されたという意見がある。けれども、スターリン体制を可能にしたのは国内だけではなく、国際情勢である。独裁体制は国際情勢によって維持される。レーニン自身がスターリンを後継者として遺書の中で認めていなかった通り、スターリンには最高権力者の正統性がまったくない。

 

 レーニンがスターリンに電話した。

「『火花』の新しい号は気に入ったかね?」

「ええ。大変やわらかな紙ですね、ウラジーミル・イリイチ」。

 

 スターリン主義は、その誕生からつきまとっている正統性の欠如を倒錯的に埋めようとする姿勢である。だから、なぜ自分が正統なのかを理論化しなければならない。政治闘争は、スターリン体制において、理論闘争でもある。演劇では、コンスタンチン・スタニスラフスキーが社会主義リアリズムの正統と評価された。社会主義リアリズムは、この点で、スターリン主義である。ソ連国外では、チリのパブロ・ネルーダ、フランスのルイ・アラゴン、ドイツのベルトルト・ブレヒトやアンナ・ゼーガース、ブラジルのジョルジェ・アマドなどが社会主義リアリズム陣営に属する文学者として、ソ連ではしばしば言及されている。ゴーリキーはドストエフスキーを批判しているが、ミハイル・バフチンが『ドストエフスキーの詩学』において「ポリフォニー」概念を提示したように、姿勢としては正しい。社会主義リアリズムの作品は、正統が一つである以上、一元主義でなければならない。スターリン主義者は、そのため、自己批判を迫る。社会主義リアリズムから逸脱していると批判されたミハイル・ブルガーコフとエヴゲーニイ・ザミャーチンはスターリンに手紙を書き、国外追放を希望している。自分の戯曲の上演を禁止されたブルガーコフは、一九二九年七月、スターリンに「私の力は萎えてしまいました。私は迫害されて生きて行く力もなく、国内では著作を出版することも、戯曲を上演することもできないことが分かっているので、貴殿に申し出る次第です。どうか私を妻とともにソ連国外に追放するよう、ソ連政府に取りはからって下さい」という手紙を書いている。スターリンは、すぐさま、電話をブルガーコフにかけ、亡命こそ許さなかったが、モスクワ芸術座に職を与え、ある程度の生活を保証している。ブルガーコフと親しかったザミャーチンも、一九三一年六月、スターリンに「ソヴィエトの法典において、死刑より一段階下の刑は、犯罪者を国外に移住させることです。私が実際に犯罪者であり、罰を当然受けなければならないのだとしても、文学上の死刑ほど重い罪に値するとは思われません。それゆえ、私はこの死刑宣告を、ソ連国外への追放に変えるとともに、妻が私に同行する権利を与えてくださるよう、お願いします」と手紙で嘆願している。ザミャーチンはフランスに亡命を許される。両者とも"You-Can-Do-Better"および"Nibbling"と呼ばれる交渉術を使っているけれども、ブルガーコフとザミャーチンの違いは前者が芸術活動の禁止について訴えているのに対して、後者が自分の罪を認めている点にある。「イギリスでは多くのことが駄目であるが、して良いことはして良い。フランスでは、多くのことはして良いけれども、駄目なものは駄目。アメリカでは、駄目なことすらして良い。しかし、ソ連では、して良いことすら駄目である」(川崎浹『ロシアのユーモア』)。スターリン体制における自己批判は正統性の欠如を自己認識することである。いかなる人も自分自身を歴史的に位置づけ、その役割を認識しなければならない。

 

 社会主義という列車が走っていると、急に止まった。レーニンが見にやらせると、レールがなかった。レーニンは同乗者に「土曜労働」を布告し、レールを敷かせた。

 スターリンが部下を見にやらせると、レールがなかった。スターリンは鉄道関係者を粛清し、囚人たちの手でレールを建設させた。

 フルシチョフは後方のレールをとりはずし、前方に据えた。

 ブレジネフはレールがないことがわかると、窓のカーテンを全部しめさせ、車両をゆすらせて、列車が動いているように見せかけた。

 ゴルバチョフは、列車が止まると、全部カーテンをあけさせ、そとに向かって、「レールがない! レールがない!」と大声で叫ばせた。

 

 『どん底』の登場人物たちにも、自分の口を通じて過去を話すしかない以上、正統性がないから、そこには主役がいない。役者が「おれは言うよ──才能だと。主役に要るものはそれさ。でも才能というものは──こりゃ自分への信念だよ、自分の力への……」と言っているように、正統性は「自分への信念」である。登場人物には「自分への信念」を欠いている。「私は、かつて映画界に入り、女優になるために戦ったのとちょうど同じように、いまや自分自身となり、自分の才能を発揮することができるために、戦わなければならないと悟りました。もし戦わなければ、映画という手押車に乗せて売り払われる一個の商品となってしまうのです」(マリリン・モンロー)。

 マクシム・ゴーリキーは、父の名をペンネームにしただけでなく、長男にもそう命名したように、政治が正統性の問題であると認識している。社会主義リアリズムの正統性は、偉大なる同志レーニンの友人である偉大なる同志ゴーリキーという名前において、与えられる。『どん底』は反社会主義リアリズムという性格の社会主義リアリズムの作品たりえている。そのため、スターリン批判はスターリン主義を否定するだけでは不十分である。ソルジェニツィーンはゴーリキーを「スターリン主義者」として非難している。けれども、「スターリン主義者」という言葉は、マルクス主義者間で、相手を非難するときに使われるのであって、自分自身の呼称ではない。「Сталин(鋼鉄の男)」という名前もレーニンにつけられたものであり、本人は、最初、嫌がっている。「スターリン」は人から呼ばれる名前である。「スターリン」の名を受けいれたとき、「奇跡のグルジア人」ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリは政治における正統性の問題に気がついている。真のスターリン体制批判はスターリン主義を肯定し、坂口安吾が戦時中に『日本文化私観』において見せた体制批判のように、浪費しなければならない。否定すれば、その対象が権威として振る舞ってしまう。

 そもそもロシア語を含めたスラブ語には、否定生格という概念がある。存在と架空の存在、非存在を同じ形で表わすことはおかしいとスラブ語では考え、存在しないものは生格で表わす。主格や対格が具体的であるのに対して、生格は抽象的で、曖昧である。ロシア語では、「Aがいない」、もしくは「Aがない」はAの性や数に関係なく、「нет+Aの生格形」と表現する。нетは否定を意味するнеと存在を強調するときに用いるестЬがつまった言葉である。エドワード・サピアは、『言語、ことばの研究』において、「弱い仮説」──「ある社会に住む世界観は、その社会で用いられる言語の構造から何らかの影響を受ける」──と「強い仮説」──「話者の思考・認識が、話者の住む共同体の言語に完全に支配される」──に基づく言語相対論──サピア=ウォーフの仮説──を示している。「言語とは固有の世界観である」(ヴィルヘルム・フォン・フンボルト)。

 さらに、ロシア語には主語がない文がある。これは無人称文、普遍人称文、不定人称文と呼ばれている。主語が省略されているのではない。本質的に、主語を置く必要がないのだ。ロシア語は、アラビア語やヘブライ語と同様、コプラ動詞を原則的に持ってはいない。コプラ動詞の存在以上に、ヨーロッパの言語がほかの言語と違うのは、所有の表現方法である。ウラル=アルタイ語にも、セム語にも、インド=ヨーロッパ語の多くにも、「AはBを持っている」という表現はない。ロシア語にも、当然、存在しない。それらでは、「AにはBがある(いる)」という表現になる。これは、ウラル=アルタイ語のフィンランド語では、所有文と呼ばれている。所有と存在はほんのわずかの違いしかない。所有することは誰かにとって存在することである。所有にも存在にもどこか不確実さがある。逆に、英語では、所有と存在はまったく違う。存在は不安定かもしれないけれども、所有は主語に主格を立てて、所有者が誰なのかを明確にしなければならない。もちろん、何を明確な主体にするのかは言語によって異なる。アラビア語では、行為者が誰かわかっているときに、受動態を用いることはできない。「大使館が何者かによって破壊された」という言い方はできるが、「大使館はアメリカ空軍によって破壊された」とはできない。この場合には、「アメリカ空軍が大使館を破壊した」としなければならない。と言うのも、アラビア語は非常に動詞の役割が強い言語だからだ。アラビア語の最大の特徴の一つは動詞文の存在である。それは「動詞+主語+目的語」のように動詞で始まる文のことであり、非常に一般的な表現方法である。一方、名詞で始まる文を名詞文と呼ぶ。動詞文の場合、主語に先行する動詞は、主語が双数でも、複数でも、男性名詞なら、男性単数、女性なら女性単数形を用いる。ただし、いったん主語が明示されると、次にくる動詞は主語の数にしたがって活用する。動詞が主語さえも支配できるというわけだ。この動詞文を使うと、伝聞推定が非常にうまく表現できる。ロシア語で指示代名詞はэто であり、これで「これ・あれ・それ」のすべてをカバーする。ただし、二つのものをどうしても区別しなければならない場合、近いほうをэто 、遠いほうをтоで指す。это が、ときに、コプラ動詞のような役割を果たすことがある。それは、「AはBである」をロシア語で表わす際にはAとBを並列するけれども、不定形を主語と術語にする場合である。Проститьэто забыть. この文は直訳すると「許すこと──それは忘れること」であり、「許すことは忘れることである」となる。「悪寒がした」は、ロシア語で、「Меня знобило. 」となるが、直訳すると、「私を悪寒がした」という意味である。悪寒がするのは当人の意志や願望によるものではなく、不明の何ものかの仕業であるから、英語のように、仮主語を置く必要はない。そのため、日本語の主語のない文をロシア語に翻訳すると、ニュアンスを損なうことが少ない。近代日本文学の言文一致は、二葉亭四迷の『浮雲』第二部におけるロシア語から日本語への翻訳が可能にしたが、この類似点はたんなる偶然であろう。ただ、書き言葉としてのロシア語が近代文学の誕生とともに登場したということは考慮しなければならない。ロシア文学はプーシキンによって生まれている。それ以前、文学作品にはロシア語を使うことは許されず、フランス語で書かなければならなかったのである。

 

第二幕

 スターリン体制下、権力の側にいたものは真のスターリン主義者ではない。体制が終わると同時に、自分はスターリン主義者ではないと言い始めるからだ。スターリン体制において、試されてきた精神こそが最大のスターリン体制批判である。換言すれば、その体制下、「絞首台のユーモア(gallos humor)」(ジャック・リチャードソン)としてスターリン主義者にならざるを得なかった人たちが、逆説的に、スターリン体制を批判する。社会主義リアリズムはドグマであり、それはいつでも自己分裂という運動を起こす。ヘーゲル主義者も理論闘争・分派闘争がお得意だったが、ヘーゲル哲学は思想の統一ではなく、分派闘争をもたらしている。そのヘーゲル主義をモチーフにしているスターリン主義は、当然、同じ事態を招く。社会主義リアリズムを考察する際に、演劇を選ぶ理由は、演劇が、舞台と客席の間で、だます=だまされるという共犯関係を結ばないと成立しないからである。観客が金を払ってだまされに劇場に足を運ぶのだから、役者はだまさなければならない。両者とも舞台の裏には楽屋があるという認識を持っている。スターリン体制下では、マスメディアを通じた情報よりも、町の噂のほうが信用される。噂である以上、話をおもしろくするために、法螺を付け加えられ、真実と虚偽の混在している割合を判定する能力が必要となる。この体制において、二枚舌の効用が説かれる。人間は表と裏があり、その間が大きいほどよいというわけだ。重苦しい雰囲気の中、軽やかに噂が流れていく。この噂を判定するのは個人の批判能力だけだ。嘘を嘘と言って流すものはいない。発信源は特定できず、権威などどこにもない。掛け値の政治学であるスターリン主義ほど個人の力が試される思想はない。

 フランスに亡命して、一九七四年に『コンチネント』誌を創刊したウラジーミル・マクシーモフは、『犀の神話』において、そうした状況について次のように書いている。

 

 ソ連を去ってから四年をへた。出国してから失ったものは得たものよりはるかに大きい。国に郷愁を感じているのではない。だったらエトアールの売店で「プラウダ」紙を買って読めばすむことだ。それは、私の人生と相互に編みあわされている人びと、私の人間的、文学的うわさがつくられる言語世界、暗い悪の力と対決する人間がもつことのできる真実についての誇らしい気持ち、そうしたものの喪失である。(略)あれはお互いが理解しあう魅惑的な島だった。みながちょっとした言葉や、ちょっとした目配せや、ちょっとした仄めかしでわかりあうことができた。ときには私たちは電話口でただ黙っていたが(おお、これこそ祖国の電話だった)、この沈黙が私たちにはもっとも熱い言葉や説明よりも雄弁だった。

 

 スターリン主義にとって重要なのは道徳ではなく、打算である。ほとんどがでっちあげだとしても、その中から真実を見出せる喜びがある。ルカーは、ペーペルに、「真実というものは、もしかすると、おまえのためにはいきなり脳天にくらう斧のみねかもしれん……」と言っている。他人など信用にならないものだから、逞しく生きていく。相手から「一本」とることを楽しみにし、自分の感情を抑圧することがないと同時に、他人の感情にも同調しない。喜怒哀楽は自分の自由として表わす。軽やかに嘘をつき、爽やかに秘密を守る。管理社会であればあるほど、自分の心に秘密を持つ能力が要求される。腹芸が得意なスターリン主義者には秘密を持つ自由がある。スターリン主義者が決して口にしない言葉は「権力にだまされた」である。権力はだますものだ。彼らは人をだますことで自らを権威づける。体制への協力者は「だまされた」と言っても、「だました」とは口にしない。実際には、互いにだまし、だまされあっていたのである。「民衆の理性を──とりわけ農民民衆を私はあまり信じない(略)民衆の全構成単位の利害の共通性という自覚が生れないかぎり、イデアはない」(ゴーリキー『ヴェ・イ・レーニン』)。スターリン主義者は「だまされた」よりも「だました」と言うほうを選ぶ。と言うのも、当局の指示ではなく、民衆自身が率先して、体制に協力しながら、倒錯した欲望を満足させようとしていたからである。スターリン批判はスターリン体制官僚が対象となっていたが、人民の中のスターリン体制に向けられなければならない。スターリン体制へのノスタルジーなしに、スターリンの名がタブーである社会的・時代的状況の中で、スターリン主義者と非難されたときに、それをガルゲンフモールとして承認するものが真のスターリン体制の批判者である。アルバート・ハーシュマンは、『組織社会の論理構造−退出・声・忠誠心』において、企業パフォーマンスの質の低下に人々がどのように反応するかを論理展開している。伝統的理論によると、人々は不愉快な状況に直面すると「退出」すると考えられているが、ハーシュマンによると、人々は、ときに、脱出するよりも、「声」を用いて現状を変革しようとする。「忠誠心」という正反対の力によって複雑になった「退出」対「声」のこのような対照を使って、ハーシュマンはビジネスの行動、産業組織、政治科学を含めた諸問題を明らかにしている。スターリン体制から「退出」できないガルゲンフモール的な民衆にとって、この「声」はジョークである。

 

 KGB内でひとりの判事が査問室から大笑いしながら廊下に出てきた。同僚が、ばったり出会ったので尋ねると、「アネクドートの傑作を聞いたものでね」と答えた。

「じゃあ、聞かせてくれないか」。

「いや、だめだ。いま、それを話したやつに七年の刑をくらわせたばかりだから」。

 

 星乃治彦は、『社会主義と民衆』において、旧東陣営の民衆の笑いについて次のように書いている。

 

 一九八九年までの東欧圏の民衆は、アネクドートと呼ばれる小話をこよなく愛した。それは、政治的・経済的・社会的現実を見極めた上で、批判的観点からの不満のはけ口という面をもち、「武器としての笑い」であった。ただこうした民衆ジョークは、そればかりではなく、茶化し、自嘲、誇りをも含むものであったし、たまには政府の施策を支持する内容だったりすることもあった。そこではタブーが破られ、その卑猥さや差別語も含むきわどい内容を通じて、「本音」のコミュニケーションが交わされたのであった。それ故に広範な大衆的ひろがりをもったのであった。たしかに、社会主義体制下で、正面きった体制批判は許されるものではなかったが、「まあ、冗談で言っているのだから」という逃げ道を用意するこの手のジョークは、それによって、抑圧を受けることもほとんどなく、むしろ体制派の連中でさえ、好んでこうしたジョークを口にし、自嘲的な笑いを浮かべるのであった。その意味では「社会主義文化のかけがえのない構成要素」(ヴァーグナー)なのであった。

 

 社会主義リアリズムは、作家によっては、体制のための文学と言うよりも、「武器としての笑い」を発揮する場でもある。真の社会主義リアリズムは、『どん底』の登場人物も口にしているように、「逸話(анекдот)」である。これはギリシア語の「未刊行(ανεκδωτ)」に由来し、声高にではなく、耳うちするように、口から耳へと伝えられる短いユーモアであり、その特性上、非常に匿名性が強い。誰もアネクドートに対して著作権を主張しない。中世くらいからすでに原型はあったものの、プーシキン登場以前まで、すなわちロシア語による文学登場以前まで、アネクドートもフランス文化の影をひきずっている。ソ連時代になると、政治アネクドートが主流になる。帝政ロシア時代には、ほんとうとは思えないけれども、実際にあった話であるのに対して、政治アネクドートは実際にはなかったが、ありそうな話という傾向がある。

 川崎浹は、『ロシアのユーモア』の中で、ソ連時代のアネクドートについて次のように表わしている。

 

 一つのアネクドートがどのように流布されたか追跡調査した者はいない。当時そんなことをしたら、理由のいかんをとわず収容所送りである。KGB(国家保安委員会)にだって、追跡調査は不可能だった。それはアネクドートの個々の発話者をたどっていよいよ支流に迷いこむにしろ、逆に発信源である本流につきあたるにしろ、不可能である。なぜなら発話者をたどるほど無数の同じ支流に入るだけで、ひとりがいくつかのアネクドートをしゃべると仮定すれば、支流は成人の数の何倍もある。つまり多くの成人がアネクドートを話すか聞くかしていた。

 逆にKGBがアネクドートの支流をたどって本流にたどりつくとしよう。しかし本流とは国民の集団心理、あるいは民族の社会的気風、倫理的規範というばくぜんとしたエートスである。作者は逆にそれらのエートスを口づたえするかげろうのような媒体、巫女である。だから、あるアネクドートが発信者そのものを特定することはできない。したがって、だれが作者やらもわからぬアネクドートをせいぜい語ったものを逮捕するぐらいのことしかできない。

 ゴルバチョフ時代、私はモスクワ国際空港のあのうす暗いホールで、トランクが出てくるのを待っていた間、紹介されたばかりの二人の初体面らしいロシア人がアネクドートを話しているのを見た。ひとりが相手に顔だけ近づけて、自分の口もとを片手でおおい、耳うちする。聞き手と話し手がいっしょになって笑う。両者の身体は円錐形に傾き、足もとは離れたまま。盃の返杯のように二度、三度の応酬があって、数分もせぬうちに二人は意気投合し、まもなく握手して別れることになるが、驚いたことに、ひとりが二、三歩ひきかえしてきて、「これこそ最後の最後のアネクドートですよ」といわんばかりに、また耳うちしたのである。

 

 ロシア人がアネクドートを話している様子は、プロ野球のマウンド周辺で、ピッチャーとキャッチャーが口もとをグローブやミットで隠しながら行う会話を思い起こす。一説には、カール・ラディックが一九三〇年代にあるアネクドートの作者と名乗ったため、スターリンに粛清されたのがきっかけとなって、こういうスタイルをとるようになったとされている。アネクドートはロシア文学の根底の一つである。ゴーリキーは、一般に、アモクドート性が弱いと考えられているが、決して、そうではない。アネクドートは男性に属する笑いであり、後に述べる通り、『どん底』は女性が重要な役割を担っているから、その要素が把握しにくいだけである。集団的匿名のユーモアであるアネクドートは、ソ連が崩壊すると、急速に、衰退に向かう。ところが、匿名のメディアであるインターネットの普及とともに、アネクドートが復活し、今では、それ専門のサイトも数多く開設されている。「東ドイツ建国二〇周年の祝典の直後、サーカス団長が逮捕された。彼は、よかれと思って自分のサーカスのテントにこう書いた横断幕を掲げたのであった──『二〇周年東ドイツ−二〇年間綱渡り』。また、精神病院の院長も逮捕された。なぜって、病院の入り口にこんな横断幕を掲げたからであった──『私たちがこうしていられるのも、党のおかげです』」(ラインハルト・ヴァーグナー『DDR─ジョーク』)。

 『どん底』が、「社会主義文化のかけがえのない構成要素」であるアネクドートとしての社会主義リアリズムの作品だとすれば、役者はこの木賃宿の雰囲気を「喜劇」と規定している通り、「ファルス」の傾向を持たざるを得ない。ファルスには否定性がなく、あるのはただ肯定性だけである。肯定による批判を体現しているファルスの性質を『どん底』は持っている。ファルスの語源は、ラテン語のfarcire(詰めこむ)に由来するフランス語の”farce(挽肉の詰物)である。この由来に関しては二説ある。一つは聖史劇という宗教劇の幕間に詰めこまれる小品であるとする説、もう一つは各種地方語や隠語、地口、雑多な滑稽さが詰めこまれた小品だという説である。「道化は浪費であるけれども、一秒さきまで営々と貯めこんできた努力のあとであることを忘れてはならない」(坂口安吾『茶番に於いて』)。ファルスには倹約=浪費の弁証法が機能しているから、エディプス王の父も殺されず、ただ浪費され、権威が失墜するだけだ。劇を構成しているのは独白と対話である。発話のリズムやテンポ、レトリック、ロジック、言葉遣いなどによって、話者の性格、その場の状況、ほかの話者の雰囲気を表現する。長台詞や掛け合いといった劇特有の表現方法は、そうした要素を調和させたり、不協和音を奏でたりする。他者に対して行われる場合、会話は冗長率が高くなる。ファルスの登場人物の会話には無駄な内容が多く、冗長率が高い。『どん底』には日常会話の言語が用いられており、短い音節の単語が多く、多音節の抽象語や専門語は自嘲するときに使われ、冗長率を高める効果を果たしている。ファルスのピークは、ギョーム・アレシスが『ピエール・パトラン先生』をつくった十五世紀で、そのころには、阿呆劇や道徳劇なども人気があったけれども、結局、ファルスだけが後世にまで生き残り、十七世紀に入ると、モリエールが今日の定義としてのファルスを構成した。ファルスは乱痴気騒ぎであっても、祝祭ではない。フロイトは、『トーテムとタブー』の中で、祭りは「容認されたというより、むしろ、命令された放免であり、儀式によって禁止を破ることである。人々がなんらかの規定によって楽しい気分になるから、乱痴気騒ぎをするわけではない。放免ということが祭事の本質である。祭りの気分は、ふだん禁止されていることから解放されるために生ずるのである」と言っている。愚者が王になり、あらゆるどんちゃん騒ぎが繰り広げられる中世ヨーロッパの「愚者の饗宴」は、その意味で、ファルスではない。聖と俗のアイロニカルな転倒は祝祭に属しており、ファルスとは無縁である。ローマのアテラ劇やイタリアのコメディア・デラルテ、ファブリオー、狐物語、『少年と盲人』などがファルスの一種としてあげられる。ファルスは、主に色恋沙汰をテーマにして、庶民生活や風俗の中の滑稽さをとりあげ、諷刺するというのが本来のスタイルである。当時の役者は全員が男だったし、観客の大部分も男だったから──ファルスは、この点からも、ほかの演劇と同様、男性中心主義である──、中心人物は尻軽で、やかまし屋の女房であり、旦那は甲斐性なしの恐妻家、そこに色好みの聖職者や田舎貴族、ぺてん師の間男が登場するという設定になっている。『どん底』の主な登場人物──強欲な宿の老主人コストゥイリョーフ、若い美人の妻ヴァシリーサ、彼女の叔父の巡査メドヴェーヂェフ、男爵、アルコール中毒の役者、旦那衆で通ったことがある帽子屋ブブーノフ、元電信係のサーチン、金具屋クレーシチ、ペリメニ売りの中年女クヴァーシニャー、若くハンサムな泥棒ペーペル、靴屋アリョーシカ、荷担人夫のクリヴォイ・ゾーブとタタール人──はこれを完全に満たしている。

 ゴーリキーは地下室をファルスの原理が支配していると登場人物たちに次のように言わせている。

 

ブブーノフ あったことは──あったこと、のこったものはなあ──つまらんものきり……ここにゃ旦那衆はいねえ……みんな色が剥げて、裸の人間だけがのこった……

ルカー するとみんな平等だ……(略)

クレーシチ ここのやつらか? あいつらがどんな人間だ? やくざ者や無宿者が……人間か! おれは──働く人間だ……あいつらを見てると、おりゃ恥かしい……おれは年端もいかねえときから働いている……おめえは思うのか、おれはここからぬけ出せねえと? 這い出すよ……生皮をひんむいたって、這い出すよ……まあいまに、待ってな……かかあが死んだらな……おれはここで半年暮らしてきたが……六年もいたような気がする……

ペーペル ここにいるもなあ、だれひとりおまえに劣る者はねえ……おめえはよけいなことを言うぜ……

クレーシチ 劣らねえと! 恥も知らなきゃ、良心もなく暮らしているやつらが……

ペーペル どこへやるんだそんなもの──恥だの、良心だのって? 長靴のかわりに足にもはけめえが、恥も良心も……恥や良心なんてもなあな、権力や力を持っているやつらに要るもんなんだ……

タタール人 勝負は正直にしなくちゃならねえ!

サーチン そりゃまたなぜだ?

タタール人 なぜとはどうして?

サーチン ん、まあ……なぜだ?

タタール人 おめえ知らねえか?

サーチン 知らねえ。おめえは知ってるか?

クリヴォイ・ゾーブ おめえは変り者だよ、アサーン! な──合点しな! この連中が正直に暮らしはじめたら、三日のうちに飢え死にしちまうよ……

タタール人 おれの知ったことか! 暮らしは正直でなくちゃならねえ!

 

 だまされる奴はどこまでもだまされるし、勤労者が泥棒より尊いわけでもない。正直や恥、良心といった既存の道徳・秩序はここでは成立しないが、その代わり、身も蓋もないまでのファルス特有の平等がある。「道化の作者は誰にも贔屓も同情もしない。また誰を憎むということもない。只肯定する以外には何等の感傷もない木像なのである。憐れな孤児にも同情しないし、無実の罪人もいたわらない。ふられる奴にも助太刀しないし、貧乏な奴に一文もやらない。ふられる奴は散々ふられるばかりだし、みなしごは伯母さんに殴られ通しだ。そうかと思うと、ふられた奴が恋仇の結婚式で祝辞をのべ、死んだ奴が花束の下から首を起こして突然棺桶をねぎりだす。別段死者や恋仇をいたわる精神があるわけじゃない」(『茶番に於いて』)。

 しかも、登場人物の数人はプロレタリアートではなく、古代ギリシアの犬儒学派のごとく、ルンペン・プロレタリアートである。ルンペン・プロレタリアートは「自由意志に基づく犯罪者」として、ヘンリー八世やエリザベス一世の統治下のイギリスでは、三度つかまると死刑にされている。教会や国家権力によって土地を奪われた小農民たちは始まったばかりの産業社会のプロレタリアートになることを強いられている。しかし、多くはルンペン・プロレタリアートや泥棒、浮浪者、乞食になるほかなかい。ルンペン・プロレタリアートは国内の難民であり、何ものでもない存在ではなく、雑草のような、隙間の生成である。「雑草は未開の広大な空地の間にしか存在しない。雑草が空隙を埋める。雑草は他のものの間に──隙間に生える。花は美しく、キャベツは有用で、けしの実は錯乱させる。だが、雑草ははびこる、それが教訓だ」(ヘンリー・ミラー『ハムレット』)。フリードリヒ・エンゲルスは、『共産主義の原理』において、プロレタリアートは労働を売る「自由」を持っているし、生産手段からも「自由」であるから、ブルジョア社会は、封建社会と違って、この二つの自由が保証されていると言っているが、ルンペン・プロレタリアートはどちらとも違い、「はびこる」自由を所有している。権力は、ルンペン・プロレタリアートを、流血的立法と精神的な負い目によって、賃労働のシステムに強制的におしこむことを繰り返している。花やキャベツ、けしの実を栽培するためには、雑草は駆除しなければならないというわけだ。「自由という人権は、人間と人間との結合ではなく、むしろ、人間と人間との区別に基づいている」(マルクス『ユダヤ人問題によせて』)。ルンペン・プロレタリアートたることは権力への反抗でもある。人間は誰でも後ろめたいところが一つはあり、それに向きあって生きているほうがいい。「文学でも演劇でも、乞食がときに主役を演ずるのは、彼らに自由の夢が託されていたからだろう。(略)乞食は正当性と関係ない。しかし、乞食を大事にする社会は、文化的な社会である」(森毅『乞食文化のために』)。ソヴィエト時代にゴーリキー市と呼ばれ、ゴーリキーが『どん底』を書いたニジニ・ノブゴロドは、エリザベス一世統治下のロンドン同様、ルンペン・プロレタリアートが多く、十九世紀末には、社会問題化しており、それをふまえていたと思われる。「職安の職員『ちょっと、あなたの賃金要求は高すぎることはありませんかねえ。資格も何もとっておられないし、職業経験もないし、それで月に一万マルクが欲しいとおっしゃるのじゃねえ……』。東の人『ちょっと待てよ。こうは考えられないかい。全く資格も経験もなかったら、どんな仕事でも、とっても、とってもきついだろう。だったらそのくらい要求しても当たり前だろうが』」(エルンスト・ロエール『五年でもう十分─新しいDDRジョーク』)。

 社会主義リアリズムが社会主義ファルスであるとしても、『どん底』はファルスとしての正統性も欠いている。『どん底』を読み進むとき、社会主義リアリズムはファルスというだけでなく、正体不明の巡礼ルカーが伝統的な悲劇の登場人物の傾向を持っているように、悲劇の面もあると気がつかざるを得ない。社会主義リアリズムは社会主義悲劇とも言い換えられるだろう。ファルスと悲劇は、従来の理論では、対極に位置すると考えられてきたが、『どん底』においては、同居している。ウジューヌ・イヨネスコが『椅子』のサブタイトルを「悲劇的ファルス」としているけれども、社会主義悲劇は悲劇的ファルスでも、ファルス的悲劇でもない、社会主義悲劇はファルスの正統性も悲劇の正統性も失い、悲劇におけるファルス、もしくはファルスにおける悲劇の生成を実験している。『どん底』は、男爵の「で、それから!」によって始まるように、「それから」という生成が描かれている。

 悲劇はある歴史的・社会的背景の下でのみ生きられる。かりに文学ジャンル論的に悲劇の要素を満足していても、時代という条件を満たしていなければ、そう呼ぶことはできない。悲劇は時代の雰囲気がファルス的であるときに生まれる。社会主義悲劇の前段階には二つの悲劇が存在している。一つはアイスキュロス・エウリピデス・ソポクレス作品に代表されるギリシア悲劇であり、もう一つはウィリアム・シェークスピア作品に代表されるキリスト教悲劇である。ギリシア悲劇におけるアテナイの弱体化およびポリス体制の崩壊とアレキサンターの東方大遠征、シェークスピア悲劇における宗教改革、その後のピューリタン革命と国王の処刑、社会主義悲劇におけるツァーリ体制とミールの解体、その後のロシア革命とスターリン体制がそれに相当する。悲劇は神を必要とするので、ある宗教を前提にしながらも、その道徳の混乱と同時に次の時代を予感させなければならない。ゴーリキーが、一九〇六年五月のガポーン宛書簡の中て、「勤労者階級の解放は社会主義の中にのみある。社会主義だけが世界の生活を更新できる。そして、それは労働者の宗教にならなければならない」と書いている通り、『どん底』の悲劇性と関連するのは社会主義である。当然、ここにあげている三種類以外の悲劇も、世界史的には、存在している。悲劇は、宗教だけでなく、科学的認識と切り離せない。と言うのも、悲劇は法の概念と密接に結びつき、それを顕在化するからである。法は神や亡霊、神託、魔女、預言者を通じて告げられる。神は法が確かに機能していることを認証する存在であるため、法は神より上位にある。ギリシア悲劇の時代にはイオニア科学、キリスト教悲劇の時代にはルネサンス科学が栄えていた。ボホナーは、『科学史における数学』の中で、近代科学の成立に際して、新しい数量化として別の単位による積の概念化を強調している。近代の科学者はアルキメデスのてこの原理の比例式をモーメントとして把握する。長さと重さという別の単位の乗法による新たな概念を生み出すことは近代の典型である。古代ギリシア人にとって、積は同じ単位について行われるものである。ギリシア悲劇の論理は三段論法ではなく、背理法であり、ソクラテスの毒人参による刑死のように、自殺する。キリスト教悲劇の論理は演繹法ではなく、帰納法であり、イエスの十字架による刑死のように、他殺されたのである。社会主義悲劇の論理は弁証法であり、その時代には、古典的科学と近代的科学が対立している。スターリン体制が確立されつつあった一九三〇年代末に登場したブルバキズムはその典型である。ブルバキズムは、フランスの数学者たちの集団的匿名ニコラス・ブルバキという署名で発表される著作のスタイルや方法を指す。この名の由来は諸説あるが、それらはメンバー自身が、話をおもしろく、かつ複雑にするために、流しているものであるため、いかがわしく、信憑性はない。もともとニコラスはギリシア語のνικη(勝利)λαος(人々、兵隊)からなるΝίκολαςが語源で、今ではサンタ・クロースで知られるトルコ出身の聖ニコラウスに由来する名前である。ウォラギネの『黄金伝説』によると、聖ニコラウスの名前の意味を「民衆の、すなわち通俗にして低劣なあらゆる悪徳の克服を意味する。あるいは、多くの民衆にその訓戒と実例によって悪徳と罪とをどのように克服すべきかを教えたのであるから、民衆の勝利を意味する」ため、「この聖人には人々を浄化し、光り輝かせる力があった」。そして、一〇八九年に南イタリアのノルマン人がその遺体をトルコからパリに移送したと言われている。メンバーは常時十人前後とされているが、時代とともに変動している。と言うのは、数学的論理性を追及できなくなるという理由で停年もあるし、数学的見識が衰えていると判断されると除名になるからである。あるメンバーが、数学的見識が衰えている疑いのあるメンバーに、なにげなく、論理的には正しいが、数学的内容としてはつまらないことを話す。それに対して好意的な態度をとったら、追放される。

 森毅は、『数学的思考』において、ブルバキズムについて次のように述べている。

 

 ブルバキの数学再編成の方法は、「構造」という用語に代表される。それ以前の公理主義から潜在的にあったことではあるが、数学を公理主義的に建設することによって、その具体的内容ではなしに、理論の構成内容、基本的法則とその結合のされ方が完成される。それは、その理論の対象とするものの法則性そのものを、直接に定式化している。そこでは、今までは、ことなる理論の間のアナロジーとして、ややプラグマティックに考えられていたものが、そんなアヤフヤなものではなく、確定した共通理念として定式化され、こうして、分野の専門性の持っていた壁がとりはらわれるのである。

 それは、数学的対象(集合)に基本法則(公理)を設定することによって定式化される。理念として、「構造」とは、この「対象」における「法則」の存在様式と考えられる。それは、ブルバキは、集合の要素、または部分(部分集合)、部分集合の族(部分集合の集合)などの結合形式の形で、形式的で集合論的な定式化を行う。こうして、その構造以外の夾雑物を捨象して、議論を展開することが可能になるのである。

 

 ブルバキは、数学の歴史的発展にのっとった上で、前衛的手法によって、初等数学を現代的な問題と結合し定式化するといった古典的理論の現代的再現を行う。「彼らは、公理的手法の完全な駆使によって、既成の分野の区別にこだわらず、一般的な見地から『数学全体』の再構成をくわだてる」。ブルバキズムは極めてスターリン主義とスタイルが似ており、その限界も同じである。「古典的内容が現代的に整理されている、というのは、あくまでも、整理可能な範囲においてである。それは、既成の数学の成果の射程をこえることはできない。(略)学問の創造は、つねに未整理で未分明な分野を創造の契機としている」。社会主義悲劇は「未整理で未分明な分野」の存在を暗示する悲劇である。悲劇の観客はこうであってはならないという同情とやっぱりこうでなければならないという正当の意識を覚えさせなければならないから、法は復讐という形をとって機能する。登場人物たちは自由の世界から運命の支配する世界へと投げこまれ、自由意思による選択は持っていない。中心的人物が悲劇の進行に抵抗するが、その行動が逆に悲劇を招くことになるように、筋が進むにつれ、さまざまな相剋や対立を深まっていく。悲劇の時間は階層的でなおかつ円環的な回帰であり、運命の働いている世界においてのみある。悲劇的過程を運命の仕業とさせるのは道徳に抵触するからである。悲劇的過程には因果関係は必ずしも認められない。悲劇的出来事はただ起こる。それは気紛れにさえ見える。これが悲劇の悲劇性である。ロシア革命は、アントニオ・グラムシの言う通り、「資本論に反する革命」である。悲劇は予言と謎にかかわっている以上、この裏切りこそが悲劇なのだ。ロシアでプロレタリア革命が始まる理論的な必然性はなかったにもかかわらず、起きてしまう。「何を読めばいいのか教えてくれる人はいませんし、これを読んでみてはと適当な本をくれる人もいません。成長の過程で誰もが読む本というものがあると思うのですけれども。ですから、ほかに何もすることがない夜には、ハリウッド・ブールヴァードのピクウィック・ブックストアに出かけていきます。あてずっぽうに手にとった本を開いてみて、気にいるような文章やパラグラフがあると、それを買ってきます。昨夜は、そんな風にしてこの本を買いました。いけなかったでしょうか」(マリリン・モンロー)。偶然の出来事を必然化しなければならない以上、ロシアは崇高な使命を背負わされることになる。「いや、運命は信じません。それは先入観にすぎません。ばかげた考えです」(スターリン)。ロシア人はあまり「ありがとう」と言わない。それはロシア人が礼儀知らずだからではない。お互いに助け合うのは呼吸をすることと同じ行為であって、礼儀や義理のレベルではない。「神のお助けがあるように」を意味するспаси богに由来するСпасибоを持ち出すまでもないというわけだ。その代わり、ロシア人は”Хорошо!(素晴らしい)Ничего(どうにかなるさ)を連発する。だから、社会主義悲劇は神なき悲劇であり、その意味では、反悲劇である。ポスト悲劇と言ってもいい。ヨシフ・ラスキンは、『フリガン正統派事典』の中で、ピョートル三世に対して反乱を起こしたプガチョフがモスクワ中を引きずりまわされたことを念頭に置いて、レーニンに宛てたヴォロノフという人物による「僭称者の死体のように、あんたの死体はモスクワ中で引きずりまわされるだろう」という一九二二年五月二九日付の書簡を引用している。しかしながら、スターリンはレーニンの死体を永久保存する。社会主義悲劇はこのレーニン廟のようなものである。死ぬに死ねない。

 

 レーニンが復活し、周囲で生じていることを眺め、新聞や新著を読み、姿を消した。

人々がトランクをさげた彼を駅で見つけた。

「どこへお出かけになるというのです、ウラジーミル・イリイチ?」

「亡命するのです、みなさん。亡命して、すべてを最初からやり直さなければなりません」。

 

 ギリシア悲劇は、プロの役者を用いない仮面劇だったように、本質の悲劇であるから、主人公は英雄でなければならない。演劇の神ディオニュソスは東方からやってきた神であるので、主人公は追放されなければならない。古代ギリシアでは、演劇は役者だけでなく、歌舞や合唱団が舞台を構成し、芝居見物は市民にとって最大の娯楽である。市民による投票と抽選によって選出された審査員の秘密投票で優劣が決められている。

 一方。キリスト教は、ピューリタンも含めて、演劇を禁止することも多い。キリスト教悲劇は、歴史劇だったように、実体の悲劇であるから、主人公は英雄に見えなければならない。禁止されているので、逆に、主人公は自殺する。

 ところが、現代劇である社会主義悲劇は現象の悲劇であり、主人公は英雄であっても、英雄に見えてもならない以上、不要であって、群像劇である。「本質的関係──これが現象する──たる労働力の価値や価格を区別される、労働の価値や価格あるいは労賃という現象形態については、すべての現象形態とそのかくれた背景についていえるのと同じことがいえる。現象形態は、ありふれた思惟形態として直接的・自然発生的にあらわれるが、そのかくれた背景は科学によって発見されなければならない。古典経済学は真の事態にほとんどふれているが、意識的にそれを定式化しなかった。それはブルジョア的外皮をまとっているかぎり、そうできないからである」(『資本論』)。『どん底』には姦通、いかさま、盗み、嫉妬、怠惰、病死、偽善、殺人、裏切り、自殺など西洋の悲劇の要素のすべてがある。けれども、社会主義悲劇は英雄の持つ尊厳や無垢、受難からほど遠い。ただ絶望に満ちた堕落だけがある。彼らは「堕ちていく」ほかない存在である。それは残忍で血塗られた悪魔的光景でさえない。戦慄さはなく、気怠い雰囲気が漂っている。

 春の初めの朝から始まる『どん底』の閉塞感を帯びた雰囲気は、第二幕および第四幕で作中人物たちが歌うホ短調の次の曲のAndante molto tranquilloである。

 

明けても暮れても 牢屋は暗い

よるひる牢番   えい、やれ!

わが窓みはる   見張ろとままよ

おいらは逃げぬ  逃げはしたいが

えい、やれ!   鎖が切れぬ

ああこの鎖    わが鎖

てめえは     鉄の牢番よ

おれにゃ切れぬ  てめえは切れぬ

 

 演劇では、舞台美術、衣装、メークが視覚表現、音楽が聴覚表現を受け持つわけだが、独唱から始まり、合唱と独唱を交互に繰り返すこの歌が全編を貫く雰囲気である。過去の悲劇は、役者がシェークスピアの作品の台詞を暗唱するように、この雰囲気の中、形式的な要素にしかならない。自殺も病死も他殺も決定的な要素ではない通り、社会主義悲劇は従来の悲劇を弁証法によってファルスとして浪費している。「ヘーゲルは、どこかで言っている──歴史上のあらゆる偉大な事実と人物とは二度あらわれる。だが、ヘーゲルは、こう付け加えるのを忘れている──最初は悲劇として、二度目は茶番として」(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』)。「悲劇の死」は、中断の悲劇・未完の悲劇である社会主義悲劇を通じて認識するなら、「悲劇の不死」、または「悲劇の死からの疎外」と言いかえなければならない。悲劇は、宗教同様、自然死を迎えるはずだった。マルクスは、『資本論』第一版序文において、「われわれは、生きているものに悩まされるばかりではなく、死んだものにも悩まされる。死者が生者をとらえるのだ」と言っているが、社会主義リアリズム以降、悲劇は存在しない。悲劇の形式だけが残り、死ぬこともできないけれども、追放されることもなく、ただこの世界に存在し続けなければならない。社会主義リアリズムにおける悲劇の不死がファルスを必要とし、ファルスの不死が悲劇を必要としたのだ。

 

第三幕

 プロレタリア革命がロシアにおいて起こったのは、理論的な必然性はなかったとしても、マルクス主義の無意識的な欲望による。マルクス=エンゲルスは、『共産党宣言』のロシア語版序文(一八八二)において、「もしロシア革命が西ヨーロッパのプロレタリア革命の合図となり、こうして両者が互いにおぎないあうならば、現在のロシアの共有制は共産主義的発展の出発点となりうる」と書いて、産業資本主義化が遅れているロシアにおける革命勃発の際の農村共同体ミールの重要性を強調している。むしろ、これは毛沢東の中国革命論のほうにふさわしい見解だが、この農業国ロシアへの言及は、マルクス主義の古代ローマへの無意識的な欲望を顕在化させている。政治が最重要視された古代ローマは歴史と法律、土木が発達し、ヘレニズム期に始まった君主崇拝を起源にする皇帝崇拝が強化され、最も悲劇を拒絶して、ファルスを楽しんだ時代である。「世界史の形態の最後の姿は、喜劇である。ギリシアの神々は、すでに一度、アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』の中で、傷ついて悲劇的に死んだのであったが、ルキアノスの『対話』の中で、もう一度喜劇的に死ななければならなかった。このような歴史の筋道は、どうして起こるのか。それは、人類が人類の過去と明るく別れるためである」(マルクス『ヘーゲル法哲学批判序説』)。ローマの詩人や哲学者は田園生活を賞賛し、さらに農業礼讃へとつながっていく。ウェリギリウスからユウェナリス、キケロは田園を称え、大カトーからウァロ、コルメラは農業論を考えている。サンディカリズム出身のベニト・ムッソリーニはファシズムこそが真の社会主義だと信じ、古代ローマの様式を復活させている。ファシズムは、スターリン主義と同様、ナチズムと区別して考えなければならない。また、カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクは古代ローマの奴隷反乱の指導者にちなんでスパルタクス団を結成、ウェッブ夫妻やバーナード・ショーもハンニバルを破った将軍ファビウスに由来するフェビアン協会を設立している。そもそも「独裁」や「プロレタリアート」は古代ローマにおいて登場した概念である。「無意識は言語のように構造化されている」(ジャック・ラカン『エクリ』)。

 古代ローマは、マルクス主義にとって、「父の名」である。欲望の対象は不在の対象であり、母の男根であって、父の名が母の欲望を代理する。欲望は願望と異なる。願望は意識的な望み、たんなるアリバイであり、進んだ資本主義国家に起こるというのは願望である。欲望は、ある要素が別の要素によって歪曲せざるを得ないから、顕在する。歴史が、語源的には、ギリシア人にとって「探求」であるのに対して、ローマ人には「記憶」を意味していたように、ギリシア悲劇は象徴界、古代ローマは鏡像段階、「神経の衰弱」(ギルバート・マレー『ギリシア宗教発展の五段階』)であるローマ後期にキリスト教が成立した通り、キリスト教悲劇は想像界、社会主義悲劇は現実界であろう。

 ローマの言語であるラテン語は、ロシア語と同様、冠詞がなく、語順が柔軟であり、主語が省略されることが多いので、同格が使われている場合、どちらが主=従いずれなのかを文脈や強勢などさまざまな角度から判断しなければならない。ロシア語の言語的特性も先行する二つの悲劇や古代ローマと社会主義悲劇の関係が微妙だということを示している。中澤英彦が『はじめてのロシア語』の中で言及しているロシアの言語学者A・ペシコーフスキーによると、言語において響きのよさを覚えるのは、母音および有声子音を含む声の音と無声子音の割合である。ロシア語の会話では、前者と後者の比率は七四・五%対二五・五%であり、詩の場合には、概して、前者が四から六%増える。ダンテの『神曲』、ロシア語による文学制作を初めて行ったプーシキンの『エヴゲニー・オネーギン』、ゲーテの『ファウスト』の最初の百音を比較すると、声の音の割合は、それぞれ八一%、八〇%、七六%である。プーシキンの詩には、八四・七%にもなる作品がある。ギリシア悲劇はギリシア文字、キリスト教悲劇はラテン文字、社会主義悲劇はキリール文字を使って書かれているわけだが、キリール文字はギリシア文字を基盤に考案され、母音十文字、子音二一文字、記号二文字の三三文字によって構成されている。ロシア語は日本語よりも高音域と低音域が広い。アクセントの位置も単語ごとに決まっており、語順も比較的自由なため、緩急自在なリズムをつくりだせる。ただし、ラテン語のアクセントは、ロシア語と違い、強弱ではなく、高低である。音域を狭め、とぎれとぎれに話すよりも、音域を広げ、滑らかに、流れるように話すほうがロシア語に聞こえる。Станиславскийも、ロシア語でなら、発音しやすい。

 古代における民族は言語によって規定される。ラテン語を話すのがラティウム人であり、エトルリア語を話すのがエトルリア人ということになる。古代イタリアではさまざまな言語が話されており、ラテン語はローマ付近の一地方言語にすぎなかい。日本のような近代の国民国家はしばしば言語の同一化を政策として強制するが、古代ローマ人は占領地域にラテン語を強制しないし、ローマ人も、先に繁栄していた人々から言語の変更を要求されていない。ローマの勢力が拡大するにつれ、植民市の言語は、次第に、ラテン語に取って代わったにすぎない。そのほうが政治的・経済的・文化的に便利だと思われたからだ。社会主義も、先のスターリン言語学に関する引用が示している通り、ローマのこうした言語政策も復興することを目指すはずだったのである。イタリック語派はラテン語、ウンブリア語、中央イタリア山岳民族の方言、オスク語から構成されており、中でも、ラテン語と比べて、ギリシア語やゲルマン語派と驚くべき密接な関係を示しているオスク語は、公用語から外れた後もポンペイなどでは民衆の間で、長きに渡って、話され続けている。歴史的に見るなら、当初はローマよりもエトルリアのほうが文明的に進んでいる。”aasas. ekask. eestimt. Hurtuiというオスク語の文をラテン語に訳すと、arae hae extant horto."となる。このようにラテン語はエトルリア語にかなりの部分で影響を受けている。ラリッサ・ボンファンテの『エトルリア語』によると、エトルリア語はいわゆるインド=ヨーロッパ語族ではない。エトルリア人はフェニキア人やギリシア人とさまざまな面で交流があり、ギリシア式アルファベットを参考にし、ローマ人がさらにそれを規範にする。エトルリア語にはb、d、g音がなく、外来語の場合、それらはp、t、kに代用されている。エトルリア語は、ギリシア語やラテン語と違い、長母音がなく、短母音のみで、母音はa、e、i、uの四音であり、oはない。ラテン語は語彙の面でエトルリア言語にいくつか影響を与えた場合もあったけれども、ラテン語の語彙の多くはエトルリア語に由来している。エトルリア人は[k]の音価に三つの字母を使いわけ、aの前にはkを、eとiではc、uの場合qを置いた。古典期のラテン語でkを使っているのは、kalendae(一日)Karthago(カルタゴ)のわずか二つしかないが、これはエトルリア語の名残である。エトルリア語で、18esl-em zathrumと言うけれども、これは「1820ー2」という意味で、発想はラテン語と同じである。さらに、f音はエトルリア人に完全に負っている。古代ギリシア語にはf音がなかったからだ。ローマ人はエトルリア人を媒介にしてギリシア文化をとり入れている。エトルリアは、ローマにとって、ギリシアの媒介者である。エトルリア語には、固有名詞以外の名詞では、文法的性はなく、主格、対格、属格、与格、位格という格変化をし、代名詞は三人称が生物と無生物にわけて使われる。ただし、書式に関しては、ローマ人はエトルリア人から学んでいない。エトルリア人は、最初のころは、右から左に横書きし、分かち書きさえしなかったが、後に、ラテン語の影響もあって、左から右に表記し、分かち書きをするようになっている。最初期のエトルリア語では、一行目が左から右に書いたら、次の行は右から左に、そしてその次の行は左から右へというような牛耕式だったことが確認されている。これは前五五〇年にギリシア人が左から右への書体に落ち着く前にとっていた方式である。エトルリア人はローマ人に同化していき、政治的・経済的・文化的中枢にも入りこんでいく。

 マルクス主義において、「プロレタリア独裁」は物議を提供する概念であるが、これも先に触れた通り、その古代ローマに由来している。

 レーニンは独裁について次のように述べている。

 

 独裁という科学的概念は、なにものにも制限されない、どんな法律にも、絶対にどんな規則によっても束縛されない、直接に暴力に依拠する権力以外のなにものをも意味しない。「独裁」という概念は、これ以外のなにものも意味しない。

(『独裁の問題の歴史によせて』)

 

 独裁は暴力なしには不可能であるとはいえ、暴力だけを意味するものではない。それは、これまでの労働組織よりも高度な労働組織をも意味している。

(『校外教育第一回全ロシア大会での演説』)

 

 元老院は三〇〇人の貴族によって構成され、最高の立法・諮問機関であり、終身任期である。コンスルは民会の一つである兵員会で選出される最高政務官であって、二名、任期は一年、無給である。「独裁官」、すなわちディクタトルは、古代ローマにおいて、コンスルの一人が元老院によって任命され、任期は六か月が限度で、重任のできない非常事態時の臨時職である。ディクタトルは、コンスルさえ許されなかったにもかかわらず、斧の周囲に楡の棒を束ねたファスケースを持って市内を闊歩することができる。カエサルはこのディクタトルに終身任期を手にしたが、共和制の危機を感じてブルータスらに暗殺されている。ローマ人は王を追放して共和制に移行したため、「王」という名を忌み嫌い、権力の集中を避けるようにしている。ディクタトルはほとんど任命されず、有名無実化していたのが実情である。

 「プロレタリアート」も、「独裁」同様、古代ローマの歴史に登場している。今日においても、その起源がはっきりしない兵員会は「百人組」という団体を投票単位にし、出席市民は最初にこの組の中で一票を投じ、その組の票を決定する。市民は財産に応じ、騎兵、重装歩兵、軽歩兵などの兵役義務を負っている。騎兵は十八の百人組に、重装歩兵はその下の八十組に、それ以下は少数の百人組にわかれる。財産のない「プロレタリアート」は全体で一つの組に入れられている。「子孫」を生むことによってのみ国家に奉仕できるものという意味であるプロレタリアートは没落中小農民の中の最下層であり、「パンとサーカス」を要求する浮浪人となったものも多い。戦費自弁での出征、戦場化による耕地の荒廃、戦後は属州からの安価な穀物の流入、果樹栽培中心の奴隷使用に立脚した大土地経営のラティファンディウムが発達し、中小農民は没落してしまう。選挙権を有する彼らは略奪をともなう戦争を望み、野心家の私兵化する。プロレタリアートは、このように、古代ローマの「どん底」を構成する階層である。

 独裁には、カエサルが市民から人気があったように、民衆の支持が不可欠である。ムッソリーニは大衆運動を通じて政治権力を握り、民衆の人気をいかに掌握するかに悩み続けている。独裁は民主運動がはらむものであって、専制を区別すべきである。専制政治には民主の支持は要らないのであり、官僚主義が求める体制である。専制政治では、そのため、民主的な手続きをとっているかに見せることができる。他方、独裁は革命のためにとられる暫定的な体制である。専制政治を打破するときには、独裁を肯定しなければならない。

 プロレタリアート独裁は階級独裁であっても、一党独裁ではない。マルクスは、『フランスの内乱』の中で、「プロレタリアート独裁」という言葉を初めて使い、その後、『ゴーダ綱領批判』において、「資本主義社会と共産主義社会のあいだには、前者から後者への革命的な転化の時期がある。この時期に照応してまた政治的な一過渡期がある。この過渡期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない」と言っている。この二段階の革命理論は、政治が正統性の問題である点をマルクスが深く認識していたことを示している。プロレタリアート独裁はヘーゲルを媒介にした西洋哲学の転倒を企てている。そこには『精神現象学』の「主人と奴隷」、『歴史哲学』の「ゲルマン世界」、『法哲学』の「国家」の完全なパロディの姿が見られる。『資本論』は『資本現象学』と考えて、読むべきだろう。プロレタリアートとはある共生感の連帯の名称であり、思想信条を共有しているわけではなく、むしろ、それを断ち切ったものである。資本主義から共産主義へと移行する過渡期の状態、素粒子論的用語を使えば、中間子的状態であるプロレタリアート独裁は社会主義体制である。

 ゴーリキーは、一九〇九年、『個性の崩壊』において、プロレタリアート独裁が消滅する媒介者であることを自覚して、次のように書いている。

 

 賢い自然のはたらきに感謝すべきである−−個人には不死はないのである。この地上に、もっと力強い、もっと美しい、もっと誠実な人たち−−新しい、美しい、あざやかな生活を創り出し、もしかしたら団結した意志のすばらしい力で死に打ち勝つであろう人たちに席を譲るために、われわれはみな不可避的に消えていくのである。

 未来の人々に喜ばしい挨拶を送ろうではないか!

 

 マルクスが、一八五二年三月五日付ワイデマイヤー宛書簡の中で、プロレタリアート独裁を「あらゆる階級の止揚と階級のない社会に導く過程をなしている」と書いているように、社会主義社会は「消滅する媒介者」(フレドリック・ジェイムソン)である。プロレタリアート独裁に向かう権力の奪取は暴力を用いてもかまわないが、正当化してはならない。「消滅する媒介者」として非難され、没落するために、行うことだからだ。歴史的・社会的な舞台であの役割を演じなければならない。役が終わったに、共産主義社会という楽屋に引っこむ。社会主義リアリズムはまさにこういう役を見事に果たしている。社会主義リアリズムはありえても、共産主義リアリズムは存在しない。社会主義リアリズムを考察すると、そこにはさまざまな部分で象徴界・想像界・現実界の弁証法が働いていることに気がつかざるをえない。「哲学の各部分はそれ自体、全体としての哲学であり、完全な円を描く。かくして哲学全体は、いくつもの円を含んだ円になぞらえる」(ヘーゲル『大論理学』)。資本主義社会は象徴界、社会主義社会は想像界、共産主義社会は現実界である。社会主義社会は共産主義社会登場の準備をしつつ、敗北する悪役を引き受けなければならない。社会主義社会はよりよく振る舞えば振る舞うほど、自分の立場を悪くする。社会主義社会は共産主義社会に忠誠を示すために、資本主義社会の加担を認め、自ら進んで犠牲者にならなければならない。“The notes I handle no better than many pianists. But the pauses between the notes--ah, that is where the art resides" (Artur Schnabel).

 

 フルシチョフがコルホーズ員たちの前に姿をあらわした。

「われわれは一方の足でしっかりと社会主義に立ち、片方の足で共産主義に向けて歩みだした」。

 すると、聴衆の中かにこんな声があった。

「まだどのくらい長くわれわれはがに股で立つことになるのですか?」

 

 『どん底』は、社会主義リアリズムの正統スタニスラフスキー・システムによって、読まれなければならない。最もスタニスラフスキー・システムがふさわしい作品であるから、『どん底』には一つの読みしかない。脚本はほかの文学作品と異なる。脚本は、役者にとって、現実であり、役者の実践は脚本の研究である。脚本の延長の実践にいかに機能するかということが役者の問題となる。スタニスラフスキー・システムは、エドガー・アラン・ポーが書くことを意識化したという意味で、生きることの意識化である。生きることが積極的な模倣であることの自覚である。モスクワのブルジョア家庭アレクセーエフ家の次男として生まれたコンスタンティン・セルゲヴィチ・スタニスラフスキーは、『俳優修行』を通じて、俳優は役を演じるのではなく、役を生きなければならないのであり、身体と心理が不可分な演劇行動をつくる必要があると主張する。スタニスラフスキーは心理技術と身体行動の一元的訓練の方法を探求し、脚本の理念と登場人物の性格の分析を行い、これらを形象化する過程を顕在化させようとしている。多元的解釈はほかの解釈には狭量である。解釈の自由は自分自身に対してのみ認められるだけだ。解釈者が自発的に解釈の自由など唱えることはない。スタニスラフスキーは、一元的解釈の下、解釈の自由をその権力の制限として実現しようとする。実践はこの中心権力との条件闘争という姿をとる。スタニスラフスキーは安定化を望む体制の裏をかく。体制からの規制が多ければ、それをとりのぞくのではなく、こちらから、個人的に、一つ余分に規則を付け加えるほうがいい。体制の規制の地位が相対的に下がるかららである。ショー・ビジネスの世界で、映画を自由に製作することはできない。規制は、ハリウッドで極めて多いように、いかなる社会にも存在する。ソヴィエトを「拘束された国」や「自由のない国」、「順応主義」との国外の知識人たちからの批判に対し、ゴーリキーは、一九三一年、『知識人たちへの答え』において、「ソ連では個人は圧迫・迫害され、国の工業化はエジプトのピラミッド建設のように強制労働によっておこなわれているかのように信じこませようとしているが、これは嘘であるばかりでなく、そんなことを真実ととることのできる者は、ただ知的エネルギーと批判的思考の完全な減退、完全な喪失という状態の中で生きている人たちだけだ」と書いている。社会主義リアリズムはこの規制に対する対処の方法である。「独力で自分の歌を売る女歌手は、非生産的労働者である。けれども、その同じ歌手でも、金儲けのために彼女を歌わせる企業家に雇われると、生産的労働者となる。そのわけは、この歌い手が生産するものが資本だからである」(マルクス『剰余価値学説史』)。スターリン体制下では、巨大な秘密警察機構から逃れることは困難であり、助かる方法を見つけだすことこそが優先される。恐るべき超自我の検閲の前に、自我はガルゲンフモールを発することしかできないことをスタニスラフスキーは認識している。

 

質問「ソ連市民の書簡のやりとりは検閲されているのでしょうか?」

回答「原則的にはそんなことはありません。しかし、反ソ的な内容の手紙は届かないことになっています」。

 

 検閲は内容ではなく、概念を変更する形式的組織化を問題にする以上、ゲームであり、一つの社交であって、三谷幸喜の戯曲『笑の大学』が示している通り、作家と検閲官は敵対関係にはない。検閲は微小な単位で争われるため、鋭敏な感覚が養われる。前もって検閲によって添削される部分を予想しておく。検閲官は作者に牽制してくる。検閲官は作者に自分自身は文学的価値を認めていると言いつつ、党の上層部を暗示しながら、訂正を求める。作者は彼に貸しをつくり、将来の担保にする。検閲官は、上層部に、自分の調停能力を自慢し、昇進の材料にする。これは"Good Cop, Bad Cop"と呼ばれる交渉術である。そのほか、スターリン体制では、先にあげた"You-Can-Do-Better""Nibbling"だけでなく、"Take-It-Or-Leave-It""Reverse Auction""This-Is-All-I-Have""Fait Accompli""Telephone Negotiation"などありとあらゆる交渉戦術が必要となる。スタニスラフスキーは検閲を厭わない。余白を汚して、作品を落書きの対象にしたがっている。スターリン体制の下では、倒錯的ながらも、その限界線のスレスレをたどる楽しさがある。そのことによって周辺が広がっていく。とがめられたら、一度戻ればいい。ただ注意深く、ラーゲリに送られない程度にとどめることは必要だ。表と裏という二つの論理の差異を知らなければならない。社会主義リアリズムは一つの論理に支配されることを拒む術を覚えさせるから、軽やかでなければならない。スターリン体制はノイズの文化を、逆説的に、育てている。ノイズは儀式や制度に陥ることを妨げる。スターリン主義者は物事を意図的に複雑にするけれども、人間は、本来、ややこしいものであり、複雑さに対処するには精神の柔軟性、社交術が要求される。スターリン主義は、その意味で、社交の政治学である。複雑さを切り捨てると、精神は膠着し、その本質的な根源性を日常的なものに堕落してしまう、同時に、日常的な猥雑さの中に落ちるところまで落ちることを望む。

 二十世紀は劇場よりも、コロッセウム、すなわちスタジアムを選んでいる。十九世紀後半からマルクス主義がローマを顧みたのは、時代がギリシア的な劇場ではなく、ローマ的なコロッセウムへと向かっていたからである。劇場は一つの角度からだけだが、コロッセウムはあらゆる角度から見ることができる。それは、現代では、楽屋の登場を意味している。古代ローマは演ずる側と見る側が完全に分離され、最も演劇を拒絶した時代であり、演劇は参加する芸術だという意見もあるが、コロッセウムでは野次が飛ぶことを考えれば、彼らは演劇から野次、ノイズを追放しようとするものたちである。

 演劇からノイズを追放すれば、娯楽ではなくなる。このようにスタニスラフスキーは、演劇を解釈の場から、実践の場へと変換しようとしたのだ。

 玉木正之は、『戯れせむとや』において、観客のあるべき反応について次のように述べている。

 

 コヴェントガーデンの日本の劇場との違いは、拍手の長さだけではない。指揮者が登場して序曲が始まっても、遅れて入ってくる客がいたり、その客を席まで通すために席から立ちあがる人がいたり。で、観客席のざわめきが止んだのは、幕が開いてから10分以上も経ってからのことだった。しかも演奏中の観客の私語も多かった。それは、コヴェントガーデンに限らず、欧米のオペラ座に共通する特徴でもある。

 日本劇場なら、演奏開始のベルが鳴り、場内が暗くなって指揮者の登場を待ち受けるときから、観客席は息をつめるように静かになるのに……。

 もっとも、日本にも欧米のオペラ座と同じような雰囲気の劇場がある。たとえば、わたしが生まれ育った京都祇園町にある南座がそうだ。年に一度の顔見世のときでも、場内はどことなくざわつき、座敷席では酒を飲んだり、幕の内を広げている人がいる。そして幕の下りたあとの拍手は、きわめて短い。劇場の周辺には、『忠臣蔵十一段』を見終わったあとに入る店であると自称している『十二段屋』などという屋号の料理屋もあり、観客はさっさと劇場を出て料理屋に足を向ける。

 要は、文化が根づいているかどうか、という問題に違いない。つまり、文化がどのくらい身近なものとして日常化しているか。

 身近で日常化しているものなら、人々の反応は一見そっけないものになる。カナダやフランスの人々にとって歌舞伎は身近ではない。異文化である。だから、きわめてenthusiasticで、passionateな反応になる。しかし、あらためていうまでもなく、南座の座敷席で酒を飲んでいる観客のほうが歌舞伎には精通しているのである。

 

 演劇や映画に対して人々が「一見そっけない」反応をできないでいる間は、それは文化としてまだ十分に根づいていない。最も映画に精通しているのは、その意味で、インド人である。インド人にとって、映画は「身近なものとして日常化している」。インドではミュージカル以外はまず当たらない。インド人はあの『タイタニック』ですら拒絶している。彼らは、映画が始まっても、私語はやまないし、中に入らず、ホールで煙草を吸ったり、飲み物を口にしているだけでなく、居眠りをするものさえいるが、歌と踊りのシーンになると、中に入り、みんな一緒に踊り歌う。そのシーンが終わると、また元の状態に戻ってしまう。そこにはアナーキーな自然発生性だけがある。こういう光景はインド文化圏以外では考えられないかもしれないけれども、この状態を日本では子供が自然に行っている。最良の観客は、その意味で、子供である。子供はすべてに精通し、子供の成熟こそが、文化には、望ましい。

 

第四幕

 『どん底』の猥雑な登場人物は男と女性では担っている役割が違う。相手から「一本」とろうとしている男の登場人物たちは曖昧な二面性を持っている。自己欺瞞に陥り、弁証法によって仮面が引き剥がされる彼らは無力である。人が死んでいくけれども、それを見守ることしかできない。「それは、実践家ではなく、認識者であり、しかも、どんな人間的実践にも物語にも幻滅したがゆえに二度とそれに加担することがなく、ただ実践が何も生み出さないことを確認するためだけに生きているというようなタイプの認識者である」。彼らは「何も『経験』しないし、『知覚』しない。彼らが把握するのは、いわば『形式』だけなのだ」(柄谷行人『内省と遡行』「学術文庫版へのあとがき」)。彼らは外部を欲しているが、その思いは適わない。サーチンは、なぜここにいるのかと尋ねるルカーに、「監獄だよ、爺さん! おれは四年七ヵ月監獄にはいってたんだ……監獄のあとにゃ──道がねえ!」と答えている。「道」がないこの世界に、ルカーが「真実の国」の寓話で物語っているように、外部はない。さらに、演劇は台詞によって織り成されている以上、言葉のレベルにおいて、この世界の出口のなさが強調される。「意味のわからない、めずらしい言葉が好きさ」と言っているサーチンは「おれはもうほとほといやになったんだよきみ、人間の言葉という言葉がみんな……おれたちの言葉というのがみんな──ほとほといやだ! どの言葉もそれぞれ、きっと、千べんは耳にしたろう……」と嘆き、ペーペルは「つまらないんだおれは……ほとほといやになったんだ、こうしてだらだらとやっているのがなにもかも……」と吐露しているが、台詞さえ奪われている数人の浮浪者までいる。実践が何も生み出さないことを知りながら、ただ役を演じるという実践をしなければならない。ここは、そのため、構造だけが支配している。それぞれの場面で、登場人物たちは中心と周辺、そして中間のグループを構成する。ナターシャに気があるペーペルは、地下室において、嫉妬深い彼女の姉といい仲になってしまっているので、想いを告げられないでいると、ルカーが彼にナターシャを連れて逃げるようにと忠告し、そのルカーの立ち会いの下、広場でペーペルはナターシャに自分の想いを告白する。“That men do not learn very much from the lessons of history is the most important of all the lessons that history has to teach" (Aldus Huxley).

 その際、ペーペルは、ナターシャに、みんなが泥棒と呼ぶので、意地でそうなったのだと次のように告白している。

 

 おれは──餓鬼のときから──泥棒だ……みんなが、いつでも、おれに言ったんだ、泥棒のヴァーシカ、泥棒のせがれのヴァーシカ! とね。ほほう? そうか? ふん──ならよし! そこで──おりゃ泥棒さ!……おめえはわかってくれ、おれはひょっとすると、意地からの泥棒かもしれねえ……だれひとり、けっしてほかの名でおれを呼ぼうとは思いもしなかった、そこからおれは泥棒になったかも……名を呼んでくれよおめえは……ナターシャ、な?

 

 『どん底』の舞台には広場と地下室の宿という外部と内部の二つの空間があるわけだが、地下室で圧迫されている内面は広場という外部で解放される。同時に、それから、男の登場人物がシニックということがわかる。このペーペルを含めて男の登場人物は想像界を生きている。過去の世界は自己の顕現を可能にする根源的な存在=不在の交代の構造としての象徴界、木賃宿は鏡像としての他者の中への囚われの関係である想像界、その外界は象徴界の外密、すなわち外部でありながら最も内密な状態の現実界である。現実界は語られたがゆえに、『どん底』の場面設定が地下室であるように、事後的にそこに排除されて出現した語り得ぬ世界の光景である。互いに直言居士は宴会を拒否し、時には、打ち壊してしまう。最終的に役者が自殺という形でそれを担う。

 一方、女性は外部を欲していないし、誰からも「一本」をとろうともしていないが、結果として、男たちから「一本」とっている。「ユーモアとは奥深い感情の機知である」(ドストエフスキー)。ルカーの口添えで、ナターシャはペーペルを信じる通り、女性の登場人物にはシニシズムがまったくない。体制にとって好ましい人物はシニックである。体制を信じる人物は、いかなる体制も主張しているようには機能していないから、逆に、危険だ。支配のルールを素朴に受けいれ、それを掘り崩していくほうが真の体制批判である。

 

質問「共産主義者とは誰を指すのでしょうか?」

回答「マルクスとレーニンの本をすべて読んだ者のことです」。

質問「それでは、反共産主義者とは誰を指すのでしょうか?」

回答「マルクスとレーニンのすべてを理解した者のことです」。

 

 登場人物たちはシニシズムを放棄したとき、この世界から追放される。ヴァシリーサの妹ナターシャや夜の女ナースチャ、金具屋の妻で病床にあるアンナといった女性の登場人物は頼りなく、哀れでさえある。男爵が『宿命の恋』を読んでいるナースチャをからかうように、男の登場人物がアイロニー的存在であるのに対して、女性はユーモア的生成である。男のアイロニーと女性のユーモアの弁証法によってこの作品は展開している。彼女たちは何かを象徴しているわけではなく、対象aである。対象aは、主体にとって、欲望の原因でありながら、現実には存在せず、到達不可能な欠如である。ブブーノフが「どこへ行ったっておめえは余計者よ……それに地上の人間はみんな──余計者だ……」と言っているのを代表に、男たちの論理はある個人に向けられた非難がそのまま一般論化してしまう。「人間というものは、自分で自分の気持ちが儘にならないのよ……」と言っているユダのごとく裏切り者ヴァシリーサは泥棒ペーペルや巡礼ルカーより優位にある。ペーペルの殴りどころが悪く主人はあっけなく死んでしまう。ヴァシリーサは、殺意はなかったにもかかわらず、意図的な殺人だとペーペルをみんなに訴える。ペーペルに、ヴァシリーサは別れる条件として、亭主殺しをそそのかしたものの、断られていたけれども、ナターシャは姉とペーペルの共同謀議と信じこみ、発狂する。ペーペルはヴァシリーサの根まわしの告発によって逮捕されるわけだが、これはスターリン体制の粛清を示している。根回しは必ずしも忌避すべきではなく、根なし草の他者に対して行われるべきものである。共同体の求心力を緩め、外部に通用しないものは根まわしとは言えない。根まわしはスターリン主義には不可欠である。味方には十分に根回しをしておき、敵には自分たちの動きを悟られないようにふるまう。スターリン主義者はすべてを政治化、正確には、政治犯罪化する。スターリン主義者にとって、一切は権力闘争である。相手に知られないように準備を周到に行い、突然、闇討ちを決行する。スターリン主義下では、人は政治的存在にならざるを得ないのであって、生き残る術を身につけなければならない。それには、スターリンがいつも告発者だった通り、告発者は告発されないという鉄則を守る必要がある。告発の攻撃から身を守る死角をつくるために、自分自身に言及してはならない。敵を攻撃し、先人の英雄を賞賛することを通じて自らの立場が正しいことを暗示する。スターリン主義において、コミュニケーションは他者の欲望を先取りしていなければならない。この関係は、言ってみれば、ポーカーや麻雀などのゲームである。相手が欲しているものを推し量り、それを満たすとき、すなわち自分自身の倒錯したメッセージを相手から送り返されるとき、コミュニケーションが成立する。「あなたにとっての一九七〇年代の青春ドラマとは」と聞かれて、『走れK一〇〇』と答えてはならない。倒錯者は自分の役割を他者の欲望の対象、もしくは道具へと収束させる。すでに存在している意味を文節化しなおすために、何ものかを空虚なシニフィアンとして指名し、浮遊しているシニフィアンに対して組織化・安定化がなされる。「無意識とは他者のディスクールである」(『エクリ』)。ラカンの場合、意味するものと意味されるものはストア派=アウグスティヌス流に翻訳され、シニフィアンはセマイノン=シグナーンス、シニフィエはセマイノメノン=シグナートゥムになる。シニフィアンはシニフィエの位置にすべりこんでくるため、前者は後者に対して優位である。目の前に「紫陽花」という名前のラブホテルがあったら、音読みすべきであって、教養をひけらかしてはいけない。

 

 戦争中にパンを買う行列で一人のユダヤ人がため息をついた。

「こりゃ全部、ひげ男のせいさ」。

早速、逮捕され、厳しい尋問をうけた。

「おまえはだれのことをいっているのだ?」

「もちろんヒトラーのことです」。

「そうですか、だったらあなたを釈放します」。

ユダヤ人は立ち上がってドアのところまでいき、しかしドアを閉めろ直前に、判事にこういった。

「ところで、判事さん、あなたは、だれのことを念頭においていらしたのですか?」

 

 演劇において遠近法を成立させるのは台詞であるが、ヴァシリーサの裏切りが示している通り、『どん底』ではシニフィアンが浮遊しているため、それは遠近法を構成しない。また、ルカーの言説を無効に追いこむのはコストゥイリョーフでもサーチンでもなく、アンナである。ルカーは死の床にあるアンナに、あの世には苦しみはないと慰めるけれども、もう少し生きていたいと訴えながら、彼女は死んでいく。根源的な象徴化である鏡像段階的存在のルカーは道徳的・社会的問題を形而上学的・神学的問題にすりかえようとするが、それは失敗する。生きる希望を失っている一人一人に安らぎの言葉を与え、慰めるルカーは悲劇の預言者はずであるけれども、実際には、コメディ・リリーフでしかない。そのため、サーチンは、主人たちのいなくなった夜の宿で、もとの虚脱状態に戻ってしまった残りの人たちが事件のことを話している中、ルカーの癒しは偽りにすぎず、現実を直視する勇気と人間の尊厳を説く。

 『どん底』は次のシーンで、突然、幕を下ろす。

 

男爵 あーい、みんな! き、きてくれこっちへ! 空地で……あそこで……役者が……首くくったぜ!

サーチン えッ……歌をぶっこわしたよ……バ、バカめ!

 

 「出て行くぞ!」と言って役者は広場でガルゲンフモールとともに首をつる。その広場は古代ギリシアのアゴラではない。タタール人が役者の「祈ってくれ……おれのために!……」という願いを「じぶんで祈れ……」と拒絶することは二つの点で重要である。

 第一に、役者が「祈り」を求めるのがほかの誰でもなく、この中で、唯一の異民族であり、異教徒であるタタール人ということである。彼の祈りは「. الله اكبر」であって、「Амэн」ではない。ゴーリキーは、明らかに、ロシアの民族問題を意識している。ウイスキーのCMのおかげで、今や日本人の間でもよく知られるようになったアレキサンドル・ポルフィリヴィチ・ボロディンの『だったん人の踊り』という曲があるが、「だったん人」、すなわち「タタール人」にはロシアにおける民族問題の象徴的意味がある。一五五二年、モスクワ大公イヴァーン四世はヴォルガ中流域の商業・交通の要所カザンを占領する。以後、三世紀をかけてロシア領中央アジアが形成されていく。ザン・ハーン国を征服したロシアは、そこにいたイスラーム教徒を「タタール人」と呼んでいる。ロシア人にとって、タタール人はモンゴルの末裔という意味だったが、彼らは、実際には、トルコ系の言語を話すスンナ派イスラーム教徒である。ロシア人は、タタール人に対して、居住・職業の制約、土地の没収、追放、宗教的迫害、さらに正教会への改宗・同化という政策をとっている。十八世紀ロシア領内のムスリムの状況はオスマン低国内のキリスト教徒の待遇より劣悪で、数万人規模の改宗者が出る。しかし、十八世紀末、ロシアは中央アジア政策において方向転換をする。ヴォルテールとの文通によって、イスラームを進歩的な宗教と理解したエカチェリーナ二世は、未開のカザフの遊牧民をイスラーム化すれば、文明化と辺境の安定化ができると考えている。社会的・経済的制約から解かれたタタール人は、ロシアの東方貿易発展の役割を積極的に担うことになる。タタール人は、東方トルコ系諸民族との言語・文化的親近性を背景に、ロシア人商人にはできなかったカザフ草原やトルキスタン地方にまで商圏を拡大する。豊かになった経済力の下で、イスラームへの再改宗も進み、イスラーム文化の復興が始まっている。タタール人は、その結果、中央アジアのイスラーム社会の文化をリードしていくことになる。タタール人の識字率は同時代のロシア人よりも高かったと言われている。一方では、カザフ人などの間で、政治的・経済的・宗教的発言力を増していくタタール人への警戒感も高まっている。中央アジアはロシア革命前夜には連帯感と不信感が渦巻く極めて不安定な状態になっている。キリスト教やイスラームだけではない。ロシア革命は仏教地域にも及んでいる。現在、ヨーロッパ唯一の仏教国カルムイク・ハリムグ・タングチ共和国があるが、当時、ここもロシアの南下政策によって圧迫され続けている。レーニンの父もこの地域の出身である。ロシア革命はこうした多民族・多言語・多宗教というファルス的状況の下で行われている。

 

 アラブ代表団が明日モスクワの小学校見学にくることになった。助教師が子供達にいった。

「明日、小学校に来なくてもいい人は、ラヴィノヴィチと、それからシャピロ、ルリエ、そして、あんた母方のイヴァーノフね」。

 

 大隊長は三度笑う。最初は、みんなが笑うとき、二度目は、彼がわかったとき、三度目は、彼がすぐにはわからなかったことに対してである。中隊長は二度笑う。最初は、みんなが笑うとき、二度目は、彼がわかったときである。大隊附き医師ラヴィノヴィチは一般に笑わない。すべてのアネクドートがわかっているからである。

 

 第二に、役者は従来の悲劇を拒絶されたということである。みんなで酒を飲み、歌を歌っているところへ、男爵が伝える役者の自殺は場を興ざめさせるものでしかない。それは出来事の合理的な継起の外、すなわちあらゆるシニフィアンの連鎖の外に位置する領域である現実界の突然の侵入として、作品の意味作用を閉じる役割を果たしている。閉じることは、一枚の扉によって、開くことに通じている。体系の閉鎖性は理論的な議論を可能にすると同時に、腐敗も起こりやすい。悲劇にしても、ファルスにしても、男性中心主義であり、その意味で、社会主義悲劇も男性中心主義であるけれども、それをこのように浪費する姿で批判している。『どん底』の導入部は、ルカーの登場であるのに対して。役者の自殺は言葉でのみ伝達される。観客はそれを想像するほかない。映画のシナリオと違い、脚本は、シーンを細分化できないので、舞台への人の出入りのような鏡像段階だけを描かなければならない。役者の自殺という幕引には、そのため、弁証法が遅れて働いていると観客は感じられる。役者はこの遅れた弁証法を体現している。『どん底』は戯曲であるので、役者がそれを担わなければならない。スタニスラフスキー・システムにおいて、役者は存在しない。彼はある役になりきっているのであって、演じている誰かではない。役者は舞台にあがっていないにもかかわらず、本名でも、役名でもなく、職業で呼ばれている。ここは舞台でもあり、楽屋でもある。役者は「おれはここで名もありゃしねえ……ねえ、わかるかい、どんなにそれは口惜しいか──名を失うってことは? 犬だって呼び名は持っているよ……」と言っている。ゴーリキーは登場人物の名前それぞれに意味をこめている。名前は、西洋のほかの作品と同様、この作品において、予兆である。ロシア人の名前は正教会によって統制されていたため、北欧的=スラブ的ではなく、西欧人の名前と比べて、キリスト教的である。主だった男の登場人物の場合、巡礼者ルカーは、ギリシア人で医師、使徒パウロの弟子として伝導の旅にしたがった『ルカによる福音書』の作者、木賃宿の亭主ミハイルは『旧約聖書』の四大天使の一人であり、天上で神に代わって正義を行う大天使──ミルトンは、『失楽園』で、ミカエルが神の使いとしてエデンに降り立ち、アダムとエヴァを追放しながらも、彼らに神との和解の道筋を説く姿を描いている──、錠前屋アンドレイはラテン語起源のキリスト教の聖人、ペーペルの名前ヴァーシカもギリシア語起源のキリスト教の聖人に由来し、ロシアに正教会を受け入れたウラジーミル一世の洗礼名ヴァシリイ──原義は王──からそれぞれ派生している。一方、女性に関しては、アンナは、新約聖書外典『ヤコブ原福音書』によると、聖母マリアの母──原義は恵み深い──の名前であり、ナターシャはイエスの生誕から派生しているし、ヴァシリーサもヴァシリイの女性形の一種でもある。いずれもすべてありふれた名前だが、姓も同様に、原義にまでここではたちいらないけれども、ロシアで圧倒的に多い-ов -ев-ёв )や-ин-Ын)で終わるもの──親の名前や職業、人体の特徴を形容詞形にして、「…の子」としたものである──だけで、-ский-цкий)のタイプは使われていない。後者は一族所有の土地に由来するか、聖職者の家系を表わしている。ロシア人の名前は「名+父称+姓」と構成されている。父称は父親の名に、息子の場合、「の息子」を意味するое вич、娘では、「…の娘」を示すое вняをつけてつくる。姓も、女性においては、語尾を軟音変化させる。敬意をこめて呼ぶ場合──日本語で「様」、「さん」、「先生」など──、「名+父称」という言い方を使う。これでペーペルが「泥棒のせがれのヴァーシカ」とからかわれたのを憤っていた理由がわかるだろう。ロシア語には、ヘブライ語と同様、[w]の音はなく、[v]を使う(英語の[v]とは異なり、下唇の真ん中よりも内側に上の歯を立てる)。"Name, name, everywhere. It is just 'The Making of a Name'. But what's in a name?" 従って、この世界で名前のないことは死を意味する。

 

I've been to the desert

On a horse with no name

It felt good be out of the rain

In the desert

You can remember your name

´Cause there ain't no one

For to give you no pain

America “A horse with no name"

 

 名前のない登場人物は、役者と民族問題を意識したタタール人ほかにも、男爵がいるが、サーチンと次のような会話をかわしていた役者は二度目の死を迎える。

 

役者 おめえはいちど、すっかり殺されて死んじまうよ……

サーチン おめえはトンマだぜ。

役者 どうして?

サーチン 二度殺すことはできねえからさ。

役者 わからねえ……どうして──できねえんだ?

 

 この会話は役者が遅れていることを示している。役者の意識は破壊された。ルイ・アルチュセールは、『「ピッコロ」、ベルトラッチーとブレヒト』において、「舞台の袖で、片隅で働いている」弁証法、「ゆっくり構えていて、幕のおわりにならないと決してやってこない弁証法」、「みんなが立ち去ってしまってから、いつもやってくる」弁証法は「意識の弁証法」であり、「だからこそこうした意識の破壊が、あらゆる現実的な弁証法が生まれる予備的条件なのである」と主張しているが、確かに、劇の進行中にはこの弁証法は抑圧されている。劇が終わったとき、それは、観客の精神の中で、動き出す。意識の現実到達は、その内的発展ではなく、外部の発見によって、可能になる。「意識の破壊が、あらゆる現実的な弁証法が生まれる予備的条件」となった『どん底』においては、「舞台の袖」の弁証法では不十分である。そこには楽屋の弁証法が働いている。

 森毅は、『楽屋の思想』において、楽屋の思想について次のように述べている。

 

 ところで楽屋、こちらのほうにはもはや視線はとどかない。視られてはならない差別された領域だから。そこでは舞台の秩序は崩壊して、時間も空間もない。菅丞相と時平の大臣が花札を引き、オフェーリアとハムレットがグラスを廻し飲むのが、楽屋というものだ。役割の不在ということは、「存在が意識を決定する」流の言い方をするなら、表現されるべき意識を持たないことにもなる。

 この点、普通に思想と呼ばれるもの、舞台で照明を与えられ、上手や下手と立場まで決められているのだが、ああした舞台の真実を娯しむことが、ぼくなんか大好きでもあって、アジビラでも機関紙でも、なんでも目を通したくなる。ひところなど凝っていたころなど、ガリの字体やアジの節廻しで、どこのセクトがわかったほどだ。

 しかし、芝居の幕切れというものはいつだって少し淋しいものだ。それはひょっとすると、真実というものの淋しさかもしれない。それは人工の、つまり人のたくみの淋しさだろう。真実を追及する渡世人、たとえば革命家だの学者だのが、もしも彼の真実を本当に追及していたら、なにかしらそうした淋しさの影を感じさせるはずだ。

 でも、芝居がはねても、楽屋はむしろ賑わっている。だれにも視られることなく、しかしもはや真実を紡ぐ必要もなく、したがって思想を意識したりせずにすむ。実のところぼくは、舞台を娯しむのだって、幕切れの情緒にひたるのだって大好きな方ではあるのだが、なにより性に合うのは、この楽屋の陽気さなのだ。それは、差別された明るさとでもいおうか。この根っこの陽気さへの感受性なしに、解放戦士ぶりたがる若者をぼくはあまり信用しない。

 それに、この舞台にある思想という名の書割りにしたって、その出自はすべて楽屋である。もっと個人のレベルで言っても、だれだってその心に隠された楽屋を持っていて、そこに時空の秩序もなく、彼の思想はこの楽屋からだけ生まれてくる。それはまあ、思想とは無思想からこそ創られる、と考えてみればあたりまえ、でも世の中には、思想から思想を造ろうとお勉強してはる人も大勢いる。楽屋から舞台へと発想されるのが、根源的なはずだ。

 しかし楽屋には生活がない、という人もあろう。それはその通り、そこで楽屋口での「おつかれさん」がある。それでも、生活者と称する人たちは、しばしば楽屋を否定する差別者でもある。彼らは人間の根源の、この陽気さを理解しようとしない。

 怒りや嘆きより、人間にとって根源的なものは、むしろ笑いのはずだ。秩序とは笑いによってだけ攻撃可能なのであって、人民の怒りなどといった代物が革命的帝国主義へ行きついた歴史を、あまりに多く見てしまったではないか。当節、怒りの攻撃性が有効などと、きみはまだ信じているのか。

 

 舞台で『どん底(На дне)』が終わった後、楽屋では「乾杯(До дна)」が始まる。現代演劇は各国的ではなく、同時代的であり、同時代は外部なき一つの世界の達成である。現代演劇の効果はショックであって、カタルシスではない。破壊と再生のヴィジョンを秘めたアイロニーである。しかし、現実は、スターリン体制の粛清やホロコーストを例にするまでもなく、演劇よりグロテスクであろう。演劇は、その意味で、もはや不可能である。こういう時代では、ファルスは舞台の上だけにとどまらない。スターリン体制をめぐって、西側陣営の知識人たちが舞台ではなく、楽屋を見たがったように、ファルスは楽屋もまきこむ。社会主義リアリズムは楽屋の弁証法が働いている作品にのみ認められる。いわゆる社会主義体制は観客に見せるために、舞台を演じる。舞台は見られる場所であり、楽屋は見えない場所である。受動的である舞台は虚構でありながら、そこでは真実が演じられなければならない。観客は舞台進行に関与することは禁止され、役者が虚構の時間・空間を真実と固定する。この時間と空間を動かせるのは登場人物だけで、観客には許されていないけれども、観客と役者は完全に分離しているわけではない。観客は「うまいぞ、へたくそ!」と雑音を発することができる。観客の雑音に文句を言う役者やほかの観客は近代に毒されているにすぎないから、軽蔑してやろう。舞台と客席はわかれているけれども、それは制度ではなく、契約に基づいている。一方、楽屋では舞台の秩序は破壊され、時間・空間はアナーキーであり、楽屋では役割が不在である。存在が意識を決定するのなら、意識は存在しない。「役割の不在」という「表現されるべき意識を持たない」楽屋では、浮遊するシニィアンの弁証法が働いている。作品は象徴界、舞台は想像界、楽屋は現実界である。鏡像段階は、演劇において、公演に向かう一連の過程である。その際、脚本家や演出家、役者などの選択において、政治的な動きがある。ペーペルは、現代的に考えれば、存在せず、ただ宇野重吉がなりきっているペーペルがあるだけだ。真実を演じる必要も存在が意識を規定する必要もないから、楽屋は賑わっている。楽屋は底抜けに明るく、陽気だ。これがファルスである。笑いは怒りや嘆き以上の秩序破壊力を持っている。貧乏人を演じた役者が、楽屋に戻れば、豪華な花束に囲まれ、金持ち役を借金取りが待っていたりするように、楽屋はスキャンダルだ。ニキータ・セルゲヴィチ・フルシチョフは、必然的に、『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」』において、スターリン体制の舞台裏を暴露し、スターリン批判を企てている。

 

 フルシチョフが壇上から独裁者スターリンを初めて批判し、スターリンの専横ぶりを数えあげたとき、出席していた党委員の中から声があがった。

「そのときあなたは何をしていたのですか?」

すると即座にフルシチョフが応じた。

「今発言したのは誰か? 挙手していただきたい」。

誰も挙手するものがいなかったので、フルシチョフは答えた。

「今のあなたのように、私も黙っていた」。

 

 しかし、スキャンダルがあってこそ、パパラッチに追いかけられてこそ、初めて、スターである。スターリン主義はマルクス主義における最大のスキャンダルの一つであるなら、スターリン主義によってマルクス主義が殺されたということはない。俳優であることで有名になるのではなく、有名であることで俳優になる。メーク・アップは有名の変身である。無名がメーク・アップしたところで、何の変化も起こらない。メーク・アップによって、役者は出現する。社会主義リアリズムにとって、リアルなのは仮面である。素顔ではなく、仮面こそが重要である。メーク・アップは素顔の抑圧ではなしに、名前の顕在化である。観客は匿名の存在であり、無名を嫌う。無名の俳優の舞台には興味がない。見えない楽屋を想像しつつ、現前の舞台を見るという想像力をかきたてない役者を観客は拒否する。演劇ではなく、映画であるが、ビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』はそういった楽屋を完璧に取りこんだ傑作と言っておかねばならない。演劇は芸術的でも、宗教的でもなく、商業的な興行であり、予定変更がつきものである。この不安定な状態の中、即興的に、観客は役者と共犯関係を結ぶ。役者は、そのため、紋切節を演じなければならないのであって、観客と役者はなれあっている。役者はこの共犯関係を守るために、紋切節を語りつつ、即興性を演じる。役者は観客の傀儡であり、演劇世界の「消滅する媒介者」である。作品は、舞台だけでなく、楽屋においても悲劇とファルスの弁証法が働いていることを体現していなければならない。『どん底』は、初めて、こうした舞台と楽屋の弁証法を描いた作品である。

 『どん底』の閉塞感は演劇自体の持つ制約から由来する。演劇は、そのメディアの特性上、塗れ場もさることながら、無言で味わっている食事のシーンを描くのは難しい。散文であれば、その場の雰囲気という遠景を記すだろうし、映画であれば、表情をアップでとるだろう。『どん底』はこの制約を極限化することによって演劇の時間・空間を批判している。演劇の制約を楽しみ、それを生かすことが演劇を可能にすることを知っているゴーリキーは望んで演劇批判をしているわけではない。彼は、演劇は終わったのでもなければ死んだのでもなくて、ペーペルが「どっちみち、ここにいりゃ、堕落するんだからな……」と言っているように、堕落するだけで、ただそれを浪費することによってのみ価値を創造できると示している。『どん底』は、歴史的な使命として、演劇の想像界を演じなければならない。それはまさに社会主義と同じである。『どん底』は、社会主義の歴史的役割を体現しているという意味で、真の社会主義リアリズムの規範的作品にほかならない。「質問『共産主義ではまだ泥棒がいるんでしょうか』。回答『原則的にはいません。なぜならば、盗むべきものが社会主義時代にすべて盗まれてしまっていて何も残っていないからです』」(『DDR─ジョーク』)。エレバンは旧ソ連内のアルメニア共和国の首都で、ここの放送局は比較的リベラルだったために、よくこの手のジョークには登場するが、質問コーナーという形をとって、回答が「原則的には……しかし……」という形式が定番である。

 

 二四回党大会の席上、ブレジネフはこういうメモを受けとった。

「レオニード・イリイチ、なぜわが国では肉が足りないのですか?」

ブレジネフは答えた。

「同志諸君、われわれは共産主義に向けて七マイル歩いたのだが、家畜がわれわれに追いつけないでいるのだ」。

 

 従って、ゴーリキーが泥棒についてサーチンに次のように言わせていることは、決して、偶然ではない。

 

サーチン ジブラルタール! 世の中に泥棒よりいいものはねえな!

クレーシチ らくに金が手にはいる……あいつらは……働くわけじゃねえ……

サーチン らくに金の手にはいるやつは多いが、その金とらくに手を切るやつは多かねえ……なに、働く? 働くことがこのおれにも愉快になるようにしてくれ、おれだって、ひょっとすりゃ、働くかもしれねえ……そうさ! かもしれねえよ! 労働が快楽でありゃ──生活は上々だ! 労働が義務となると、生活は奴隷のそれよ!

 

 倹約=浪費の弁証法は十九世紀的=ブルジョア的である以上、『どん底』以降、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』のように、ファルスはクール化=パスティシュ化していく。保存するには、それを冷凍にしなければならない。『どん底』は十九世紀的なファルスの無効を告げている。浮遊するシニフィアンを表現しようとしている現代演劇の要素は『どん底』にすべてある。森毅が、『数学の歴史』の中で、十七世紀を「原理」の世紀、十八世紀を「事実」の世紀、十九世紀を「体系」の世紀、二十世紀を「方法」の世紀と命名しているように、二十世紀の芸術は「方法」に意識的にならざるを得ず、クリエーターたちは「方法」を競っている。ファルスがパスティシュ化してしまったため、演劇は完全に娯楽から芸術化=古典化する。劇場からも泥棒のようないかがわしさが追放される。二十世紀において、厳密には、ファルスは舞台ではなく、楽屋にしかない。楽屋は正統性を欠いているため、ファルスがファルスとしていられるわけでもない。ファルスは悲劇を必要とし、両者は不可分になった。楽屋が前面に押し出したアメリカ的な大衆文化は二十世紀のファルスである。映画『アマデウス』の敵役で知られ、ベートーベンやシューベルトの師匠でもあるアントニオ・サリエリは、一七八六年に、『音楽が第一、言葉は次に』という楽屋ネタの喜劇オペラを制作している。伯爵の命令で、四日間でオペラをつくることになってしまったというのに、作曲家と台本作家は口論を繰り返し、さらにそこにわがままなプリマドンナが絡んでくるという筋だが、これは二十世紀的作品である。役者の首吊り自殺は極めて意味のある出来事だ。『どん底』は演劇のガルゲンフモールを語っているけれども、それ以降、演劇を支配しているのはアイロニーとなる。大量生産=大量消費という大衆の世紀にふさわしいメディアである映画は、ハリウッドが示している通り、演劇に比べて、はるかに楽屋が肥大している。電気メディア=映像メディアに基づいた政治スタイルを「劇場型民主主義」と呼ぶのは、極めて誤った時代認識である。二十世紀は劇場の時代ではなく、スタジアムの時代である以上、それを「スタジアム型民主主義」と命名しなければならない。東側陣営が崩壊した一つの原因は、二流の映画俳優が合衆国大統領に就任したように、楽屋の時代に入ったのに、舞台に固執したためであろう。ビル・クリントンは、大統領時代に、自らの評判を逆手にとるようなCMに出演している。それは、従来の合衆国大統領のイメージに対するパロディであり、パスティシュであって、ヒラリーの夫は「商品としての政治家」を意識した極めて二十世紀的な大統領である。二十世紀は「職業としての政治」(マックス・ヴェーバー)の時代ではない。

 

質問「エイズはロシアで流行するのでしょうか?」

回答「いいえ、流行することはないでしょう。エイズは二十世紀の病気ですが、ロシアは十九世紀ですから」。

 

 全体主義は舞台の政治体制である。映像を通じて見る全体主義体制が滑稽に見えるのは、映画で演劇の演技をやっているようだからだ。映画の演技は、演劇の演技と比較して、アクセントを弱くしなければならない。舞台を中継したザ・ドリフターズの『8時だヨ! 全員集合!!』は、その意味で、現代最高の演劇の一つである。

 

 志村と仲本が復帰してからひと月の四月、志村けん宛に、全盲の少年からファン・レターがきた。点字に、少年の姉がふりガナをつけた手紙である。

「ぼくは、しむらがつかまったとき、とてもしんぱいしました。でも、また、テレビにでたから、あんしんしました」

 この手紙はどんな非難よりも、我々には、こたえた。

 この少年は、全盲ながらもピアノ、バイオリンを習い、鉄棒、マラソンから補助輪付きの自転車を乗りこなし、ハンディキャップを全く感じさせない生活で、小学校も普通学級に入っているのだそうである。この全盲の少年が、テレビの前で、早口言葉を一緒に歌い、カラスの勝手を聴いて、ドリフタズを応援してくれていたのだ。この少年にとって、一体ワースト番組とは、どんな意味を持つのだろうか。いずれにしても、「8時だヨ! 全員集合」にとってこれ以上嬉しい、名誉な勲章はなかった。

(居作昌果『8時だヨ! 全員集合伝説』)

 

 ドリフには、『ドリフ大爆笑』のテーマ・ソングが示しているように、軍歌の替え歌が多く、映画も含めて、軍隊のコントも多数ある。それは完璧な絞首台のユーモアだった。ドリフほど軍隊や戦争を批判したコメディアンはいなかったことを忘れてはならない。

 

Qu'en un lieu, qu'en un jour, un seul fait accompli

Tienne jusqu'à la fin le théâtre rempli.

(Nicolas Boileau, “Art poétique”, chant III, vers 45 - 46)

 

一つの場所で、一日のうちに、ただ一つのことのみがなしとげられるように

舞台を最後まで満たしておかねばならぬ。

(ニコラ・ボワロー『詩法』第三章四五−四六行)

 

─幕─

 

楽屋にて

 二〇〇二年十一月三〇日付『朝日新聞夕刊』によると、リトアニアの首都ビリニュス郊外に二〇〇ヘクタールの「スターリン・ワールド」と呼ばれるテーマ・パークが運営されている。七五体のソ連時代の英雄の銅像が並び、スターリンはシベリアの強制収容所を再現した森にたたずんでいる。この銅像に雪球を投げつけようが、木槌で叩こうがかまわない。園内のレストラン「ノスタルジー」では、ソ連時代の酒の肴を試すことができる。ウォッカを注文すると、アルミの粗末な食器にイワシの塩漬けとタマネギの輪切りが盛り付けを手にしたバーテンダーが「スターリンに乾杯」と言って、ウインクしながら、グラスを渡してくれる。つまみの味は、もちろん、まずい。このテーマ・パークは、二〇〇一年、ビリウマス・マリナウスカスが百五十万ドルを投じて、開園させている。彼の父はシベリアに流刑され、祖父は反共産主義運動で処刑されている。マリナウスカスは「歴史の証拠品を残しておきたかった。自由に感じて欲しい」と述べている。二〇〇二年の入場者数は二十万人を突破し、市民の間で大変な人気になっている。真のスターリン主義への批判はこうしたユーモアにほかならない。

 ここではアメリカのホロコースト博物館とも、ベルリンのホロコースト記念館とも違うアプローチをとっている。スターリンによる粛清は語りえぬことであるけれども語らなければならないのでも、語りえないものであるからその縁を感じられるようにするのでもない。語りえることの決定不能性、すなわち語りえるとも語りえないとも言えない状態に対するガルゲン・フモールである。

 十九世紀の初め、ヘーゲルは、『歴史哲学』の中で、「もし、ゲルマンの森がいま存在していたら、フランス革命は起こらなかっただろう。(略)かくてアメリカは未来の地である。いつの日か、南北アメリカが戦い、そのことに何らかの世界史的意義が見出されるかもしれないが、予言することは哲学者の仕事ではない。歴史に関する限り、われわれは過去に起きたこと、現在あることを扱うべきである。一方、哲学においては、たんに過去に起きたことや、たんに起きるであろう事ことはなく、現在〈あり〉、永遠にあること、すなわち理性を扱う。それだけでも手にあまる課題だ」と語っている。二十世紀はアメリカの世紀であり、正統性を欠いた時代である。“It isn't the oceans which cut us off from the world--it's the American way of looking at things "(Henry Miller “The Air-Conditioned Nightmare").スタイルとしてのスターリン主義は現代においては不可欠であって、正統性に対するユーモアとして、それを最も体現しているのはハリウッドである。ハリウッドは、特許権を独占し、トラストを結んでいた大手映画社によって、ニューヨークやシカゴなどの大都市で締め出された「映画海賊」とも「独立派」とも呼ばれた資本力のない映画会社が流れついた場所であり、初の永続的な撮影所をネスター・カンパニーが建てたのは一九一一年のことである。世界恐慌とならんで、二十世紀をアメリカの世紀と決定づけたローリング・トゥエンティーズのころになると、「ハリウッド」はアメリカの映画産業全体を指す代名詞となる。ハリウッドはスターリン主義のスタイルを浪費している。正統性は演劇では欠かせないが、映画においては、スキャンダラスな正統性の欠如こそが重要である。“The weak have one weapon: the errors of those who think they are strong "(Georges Bidault).ハリウッドの映画制作のスタイルはブルバキズムに似ている。ブルバキが膨大な量の著作を発表しているように、それは大量生産に適している。極めて規制が多いハリウッドの映画制作は集団的匿名の作業である。ハリウッドは依然として娯楽の姿勢を保持し続け、司馬遼太郎が指摘している通り、どんな国や地域の人々でも楽しめるように──世界最大の映画製作本数を誇るインドおよびその文化圏は例外であり、ヒロインのアップのシーンで、航空会社の広告が画面の半分以上にはいるノイズをハリウッドが我慢するのは不可能だろう──、発想を構造化している。これはハーレークイン・ロマンスも同じで、そのため、代表的な作家バーバラ・カートランドは一冊──だいたい一九二ページ──をわずか十四時間でかきあげるという。ハリウッド映画は、基本的には、ロマンス・ノヴェルとカテゴリー・ブックスをモチーフにしている。複雑な社会的・歴史的問題が、ナースチャの読んでいた『宿命の恋』のようなメロドラマと一体化される。メロドラマの一種であるミステリーは演劇に不向きであるが、映画にとって、ミステリーは格好の題材である。そこにはユーモアはあっても、アイロニーがない。ハリウッドは、ブルバキズムと同様、「未整理で未分明な分野」を顕在化させている。ブルバキズム克服にはこの曖昧な割れ目を閉じるのではなく、広げなければならない。

 

『ナショナル・インクワイヤラー』では

 この割れ目を広げる役割を演じたのがマリリン・モンローである。彼女はハリウッドが行っている性的表現の検閲に対して「検閲官について困ったことは、女性に割れ目があると気をもむことです。ほんとうはそれがなかったときに、そうすべきなのに」と言っている。男性中心主義をユーモアとして受けいれ、それを浪費という形で批判した。これは、モンロー・ウォークのように、ファルスである。

 エドウィン・P・ホイトは、『マリリン−−悲劇のヴィーナス』において、マリリン・モンローがアーサー・ミラーを赤狩りから救ったと次のように述べている。

 

 だが、その時アーサー・ミラーは、やがてマリリン・モンロローの夫になる人物だった。アメリカ映画界全体にとってのヴィーナス的存在であるマリリンが結婚を決意したほどの男なら、いくら左寄りであるとはいえ、徹底して好ましからざる人物であるはずはない、と新聞は自分たちで勝手な理屈をつくりはじめた。報道界の最も右翼的な分子でさえ、マリリン・モンローゆえに、アーサー・ミラーの扱いをかなりやわらげる始末だった。

 

 マリリン・モンローは演劇の枠におさまりきれず、映画の時代でなければ生きられない。彼女ほど映画を代表している女優はいないだろう。演劇の人アーサー・ミラーは映画の人マリリン・モンローによって守られている。マッカーシズムによっても、ユーモアとして「アメリカ映画界全体にとってのヴィーナス的存在」を演じている彼女は追放できない。マリリンはありとあらゆる本を読んでいたが、スーザン・ストラスバーグはマリリンに影響されてスペンサーやプルーストを愛読するようになっている。と言うのも、マリリン・モンローは問いかけるからだ。問いではなく、問いかけこそが重要である。問いかけは他者に対して行われる。問いは冗長率が低く、問いかけは高い。ジル・ドゥルーズが、『差異と反復』の中で、空無な反復と複雑な反復を区別して、後者は機械的なあるいは物質的な反復に還元されるものではないと言っているのを受けて、フェリックス・ガタリは、『分子革命』において、現実との一切の接続を切断されたシニフィアン的な冗長性と、現実に対して生産的な効果を持つ機械的な冗長性とを対立するものとして把握している。マリリン・モンローの冗長さが何を意味をしているかこれでおわかりだろう。

 

「オデッサでは質問には質問で答えるっていいますが、これは本当ですか?」

「どうしてまた、あなたはそんなことを知らなきゃならないのですか?」

(ニクーリン『ニクーリンからのアネクドート』)

 

 マリリン・モンローの問いかけに耳を傾けるならば、そこに──これはマリリンが他者との関係について語るとき、その人はそこにいた、またはいなかったというように、好んで使った言葉だ──真の知性があることに気がつかずにはいられない。マリリン・モンローに対する軽蔑は倒錯している。彼女の問いかけに耳を傾ける人はマリリン・モンロー主義者である。マリリン・モンロー主義において、乳房は重要である。マリリン・モンローは、その乳房が大きいのはパットを入れているからではないかと何度か尋ねられたとき、彼女は「私をよく知っている人はよく知っています」あるいは「私がもっているものはすべて私自身です」、「私は自分のしっかりした乳房を誇りに思うだけでなく、自分のしっかりした人格を誇りにするようになろうと思います」と答えている。乳児にとって乳房は現実界である。メラニー・クラインが『子供の精神分析』の中で指摘する通り、乳児は栄養と滋養を与えて生を育む乳房との関係を超え、その背後にある無限の能力と絶対的な善性をそなえた乳房を探し求める。マリリンは、クラインと対立したアンナ・フロイトに精神分析を受け、さらにアメリカの精神分析運動に遺産の半分を贈っている。「母」は社会主義リアリズムには欠かせない。ゴーリキーの『母』が、小説としては、特に、社会主義リアリズムの作品だとされたわけだが、旧ソ連のプロパガンダ的スローガンを載せたポスターにはよく「母」が登場する。満たされぬ希求は乳児の中に羨望と破壊の衝動を解放し、乳児は、結局、無残にも破壊された乳房に出会わなければならない。

 さらに、ショー・ビジネスの関係者だけでなく、政治家とのスキャンダルもあったマリリン・モンローは「人々は私を、まるで一個の人格ではなく、ある種の鏡であるかのように眺めたものです。私を見るのではなく、彼ら自身のみだらな考えを見て、私をみだらな人間と呼ぶことによって、自分自身にほおかむりをしたのです」と認識している。鏡像段階において、主体は鏡像という空虚なものの中に初めて自己を見出すとともに、別の人間の中にその自己の鏡像を預ける。「人間は鏡を持って生まれてくるのではなく、またわれはわれなりというフィヒテ的哲学者として生まれてくるのではないから、人間は、まず、他の人間という鏡に自分を映してみる」(『資本論』)。鏡像段階において、主体が鏡像を自己と認めるとき、すでに根源的な象徴化が働いており、鏡像段階に見られる想像的なものは死せる象徴界の言葉で語られて、初めて、事後的に現前化してくる。

 ミモ・ロテッラやアンディ・ウォーホルも芸術の対象としたマリリン・モンローは「私は、いつも、シンボルは生身の人間と衝突するものだと思っていました。そこが問題で、セックス・シンボルは一つのものになってしまい、私はものになることが嫌いなのです。しかし私は、もし何かのシンボルになるのだったら、ほかのもののシンボルになるよりは、セックスのシンボルになったほうがよいと思います」と言っている。「マリリン・モンロー」は、そのため、集団的匿名である。しかし、それは「スターリン」とはまったく逆だ。実際、マリリン自身も「私は自分が大衆のもの、世界のものだと知っていました。それは私に才能があるためでも、美しいためですらもなく、自分がほかの何にも誰にも属したことがないからです」と理解していたし、彼女のスタンドインを演じていたエヴェリン・モリアーティによると、「そう、マリリンはいつも言っていたわ。WEって。マリリンは決してIって言わなかったの。私たちは幸せにならなくっちゃって──」だったらしい。スターリン体制とスターリン主義はわけなければならないが、マリリン・モンローとマリリン・モンロー主義は区別されない。なぜなら、マリリン自身がマリリン・モンローをガルゲンフモールとして演じていたからである。マリリン・モンローを純化して考えることはない。彼女はあらゆることを肯定する。ジェニファー・ジョーンズ・タイプの女性が好きで、マリリンの才能を愛したリー・ストラスバーグを通じて、マリリンはスタニスラフスキー・システムを学んでいたが、スタニスラフスキー・システムはマリリン・モンローが生成させたのだ。マリリンが最も演じたかったのは『カラマーゾフの兄弟』のグルージェンカだったけれども、「赤ん坊の目つき」をしているのはどうしてかと尋ねられた際、「それは私が演じる役割のためです。もし私がばかな女を演じ、ばかな質問をする役になれば、私はそれをとことんやらなければなりません。いったい何が期待されているんですの──知的に見えることですか?」と答えている。生きることは肯定することである。マリリンなくして、スタニスラフスキー・システムはない。真の社会主義リアリズムはマリリン・モンロー主義である。

 プロレタリアート独裁はマリリン・モンローによってなされるべきである。「スターリンからマリリン・モンローへの社会主義の発展」を考えると、スターリン主義は象徴界、ブルバキズムが想像界、マリリン・モンロー主義は現実界、さらに、ノーマ・ジーンは象徴界、映画での配役は想像界、マリリン・モンローが現実界という二つの定式化が成立する。これをあまりに野放図だと言ってはならない。マリリン・モンローが現実界を十分に認識していたことは次のエピソードからも明らかである。リーの娘スーザンによると、マリリンは一度だけ手料理を出してくれたことがある。マリリンの新居の冷蔵庫にはほとんど何も入っていない。マリリンがスーザンに出したのはニンジンとほうれん草と卵である。「綺麗でしょ?」とマリリンは言っている。スーザンが「どういう料理?」と尋ねると、「わかんない。でも綺麗だから」と彼女は答えている。「正しい道化は人間の存在自体が孕んでいる不合理や矛盾の肯定からはじまる。警視総監が泥棒であっても、それを否定し揶揄するのではなく、そのような不合理自体を合理化しきれないゆえに、肯定し、丸呑みにし、笑いという豪華な魔術によって、有耶無耶のうちにそっくり昇天させようというのである。合理の世界が散々もてあました不合理を、もはや精根つきはてたので、突然不合理のまま丸呑みにして、笑いとばして了おうというわけである。だから道化の本来は合理精神の休息だ。(略)道化は昨日は笑っていない。そうして、明日は笑っていない。一秒さきも一秒あとも、もう笑っていないが、道化芝居のあいだだけは、笑いのほかには何もない。涙もないし、揶揄もないし、凄味などというものもないし、裏に物を企んでいる大それた魂胆は微塵もないのだ。ひそかに裏に諷しているしみったれた精神もない(略)万事万端ただ森羅万象の肯定以外に何もない。どのような不合理も矛盾もただ肯定の一手である。解決もなく、解釈もない。解決や解釈で間に合うなら、笑いの国のお世話にはならなかった筈なのである」(『茶番に於いて』)。マリリン・モンローは安吾の「道化」を完璧に体現している。マリリン・モンローについて「どういう人?」と尋ねられたら、「わかんない。でも綺麗だから」と答えるほかない。「人は私に語について云々するが、問題なのは語ではなく、精神の持続なのだ。この語の外皮がはがれ落ちた場合、魂がそれにかかわらぬなどと想像してはならぬ。精神のかたわらには、生があり、人間存在があって、精神は、数多くの紐によって人間存在と結ばれながら、人間存在の円のなかをめぐるのである……」(アントナン・アルトー『或る地獄日記の断片』)。楽屋の弁証法を浪費化したのはこうしたマリリン・モンロー主義であり、マリリン・モンローが現実界である以上、その弁証法はいつも遅れて働き、完結せず、「笑いのほかには何もない」が、「バ、バカめ! で、それから!」……「私が話をするとき、センテンスを完結しない癖があるけれど、このことが、嘘をついている印象を与えるとのこと……。でも、そうではなくって、私はただセンテンスを完結しないというだけのこと……」(マリリン・モンロー)。

 

“I love you...I love you...I love you..."

(Joe DiMaggio)

〈了〉

 

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